ベーゼンドルファー(インペリアル)
<ベーゼンドルファー(インペリアル)>(著者撮影)

幸いなことに、私は、何人もの恩人と呼べる方々に恵まれました。本当にありがたいことです。人生のよき師、まさに「メンター」というべき方々です。今にして思えば、私は、そのときそのとき懸命にもがきながら、こうしたメンターの方々に支えられて生きてきたと思います。長年あらゆる個人相談に応じてくださった心理カウンセラーの先生、人生設計を考えるにあたって有益な助言をいただいたキャリア&ビジネスカウンセラーの先生、そしてピアノの先生方…。

言い古されたことですが、よき師との出会いこそが、人生における幸福をもたらします。今日は、その中でも私の音楽人生を決定的に変えた大師匠ともいうべき、今井顕先生との出会いについてご紹介しましょう。

今井顕先生のことは、実は、かなり昔からそのお名前を存じ上げておりました。若い頃、歌曲はもちろんのこと、幻想ソナタ、グラーツ幻想曲といったシューベルト作品にのめり込んでいた時期があり、特に、当時音源がほとんどなかったグラーツ幻想曲については、今井先生のCDの演奏を頼りにせざるを得ない状態でしたので、そういう意味では、かなり昔からお世話になっていたといえなくもありません。後年今井先生のところにお稽古にうかがうことになったのも、ある種の必然だったのかもしれません。

もっとも、今井顕先生の個人レッスンを受けるようになったのは、実は40代も半ばを過ぎてからのことでした。そう、「アラフィフ」の仲間入りをするようになってからのことですね。実を申しますと、今井先生のレッスンを受けるつもりであれば、いくらでもその機会は用意されていたのですが、不思議なことに、私自身さほど気にとめることもなかったのです。なんともったいないことをしたのでしょう。もっと早くから先生のところにお稽古に通っていれば、今頃はずっとずっと達者なピアノ弾きになっていたかもしれないと思うと、本当に悔やまれます。つまるところ、人には出会うべき「時」というものがあるのでしょうか。これも人生の不思議というものかもしれません。

ところで、40代も後半にさしかかった私は、親しいピアノ仲間たちの活躍に大いに触発されながらも、日々心中かなり「ざわざわ」とした思いを抱いておりました。正直に申しますと、仲間たちの活躍ぶりが羨ましくてならなかったのです。私のピアノ仲間たちは、アマチュアながら各種コンクールで次々と優勝・入賞という華々しい成績をおさめ、本格ホールにおける受賞者リサイタルの舞台でスポットライトを浴びていたのです。あるいは、CDをリリースする友人たちもちらほら…。仕事もピアノもどちらも一流、完全に「二足のわらじ」を履ききる友人たちの活躍を横目で見ながら、仕事もピアノもどうも鳴かず飛ばずの私、焦燥感がなかったかと問われればそれは嘘です。

ただ、何度か友人たちに誘われることもあったのですが、どうも私自身「コンクール」というところに身を置きたくないという気持ちが大きかったのも事実です。子供の頃に読んだ山本周五郎の『鼓くらべ』の影響かもしれません。人と音楽で競う、ということにどうしても心理的な抵抗感を覚えてしまうのです。誤解しないでいただきたいのですが、私自身、アマチュアピアニストのコンクール参加の意義を否定するつもりは毛頭ありません。コンクールがもたらす果実、即ちモチベーションの向上、新たな音楽仲間との出会い、といったことについて、私なりに理解もしているつもりです。友人たちの活躍ぶりについては、心から賞賛の気持ちを抱いておりますし、心底応援もしているのです。ですから、私自身がコンクールに関わりたくないと感じるこの一種の抵抗感については、全く私の個人的な感覚であることをご理解下さい。

そんな周囲の状況に、内心落ち着かない日々を過ごしていた私は、ふと「もっとピアノをきちんと習いたい」という思いに駆られるようになりました。コンクールに出ることはなくても、せめてもう少し上手になりたかったのです。機会があれば、いろいろな先生に習ってみるのもいいかもしれない、と思いついて、以前からご案内いただいていた今井顕先生の門を叩くことにしました。

さて、今井先生のレッスンに通うようになった私ですが、そのインパクトたるや、誤解を恐れずに表現するなら、まさに「脳天を殴られたような衝撃」でした(もちろん、本当に殴られたわけではありませんよ)。初回レッスンの後、私の頭の中に聞こえてきたのは、私自身のこんな声でした。

今まで何年音楽につきあってきたのだろう。
長年偉そうにペラペラと薀蓄めいたことを滔々と傾けてきた私っていったい…。
その実ろくに音楽の基本の『き』も分かっていなかったではないか。
しかも、私には致命的な欠陥があることが明らかになってしまった。
それは、長年身につけてしまった『訛り』のようなものだ。
音楽の『訛り』の矯正は、言語におけるそれと同じくかなり大変なことかも。
でも、絶対にここは矯正していく必要がありそうだ。
アマチュアとしては、それなりに弾ける方だと思っていたこと自体、何という思い上がりだろうか。
まずは音楽を根底から作り直さなければ…。

大ショックを受けた私でしたが、これがきっかけとなって俄然私の「やる気」に火が付きました。長年ピアノとつきあってまいりましたが、正直ここまでピアノにのめり込むようになれるとは、自分でも思ってもみなかったほどです。譜面の読み込み、音楽の抑揚、響き、音色…。これらを追い求めていくことが、こんなにも面白いことなのか、という驚きに満ちた日々が始まりました。あれほど「ちゃらんぽらん」にしか練習しなかった私が、時間さえあればピアノに向かうようになるとは…。人間変われば変わるものです。40数年のピアノの人生ではじめて「真面目」になりました。その甲斐もあったのでしょうか、牛のような歩みではあるものの、我ながら少しは成長の実感もあったりしますね。成長の実感があるからまた頑張れる…わずかではありますが、良い循環になってきているようです。

ピアノに限らないことでしょうが、スキルを開発する場合、やはり模範となるべきメンターの存在はとてもありがたいものです。今井先生の知・情・意のバランスに優れた演奏スタイルや、柔らかく美しいえもいわれぬ音色は、学ぶ者としてはやはり目標としたいところです。書道でも、古の墨跡をお手本とする臨書というお稽古方法がありますが、ピアノでも目標となるすばらしいお手本が目の前にあるということほどありがたいことはありません。

これからの後半生でどこまで自分のスキルを伸ばすことができるのか、それは甚だ未知数(?)ではありますが、せめて、「アマチュアだからどうせこの程度でしょ」とか「若くはないのだから今さら上達するはずがない」という具合に自分で自分を制限することだけはやめよう、と思う今日この頃です。 ― このような制限の枠組みを「観念」と称するのだと心理カウンセラーの先生から教わりました。心理カウンセラーの先生からもよく指導されるのですが、ときには自分自身をがんじがらめに縛っている「観念」を手放した方がよいそうです。そうすることで、より柔軟で心豊かな毎日を過ごすことが可能になるのだとか。

さて、「アラフィフ」にしてようやくピアノに目覚めた私のところに、思いがけず今井先生から大きな贈り物がもたらされることになったわけですが…。この続きは、また追ってお話することにいたしましょう。