
かねてからアンサンブルに興味を持っていた私は、室内楽や声楽の伴奏法を本格的に学びたいという希望をずっと持っておりました。ですから、最近では、ソロのみならず伴奏法についても、然るべき先生のところにレッスンを受けに行くようにしています。とはいっても、アンサンブルの場合、そもそも自分だけで完結できる世界ではありませんから、共演者とご一緒する機会を持たないことには、なかなか勉強するのが難しい分野であることも事実です。ですから、一緒に演奏して下さる方々を探す努力をしないと、なかなか実践経験を積むことができないのです。
ところが、今年に入ってからというもの、こと伴奏については、期せずして機会をいただくことが続いておりまして、我ながら予想外の展開に大変驚いているのであります。この世の中なぜか不思議なことが起こるもので、これだから人生って面白いですね。
まず、ピアノ・ソロの勉強に行くつもりだったハンブルク国際音楽講習会において、声楽受講生の伴奏機会をいただいたことにつきましては、既に書かせていただいた通り(こちら)です。そして、これも思いがけなくお声かけいただいた話だったのですが、ベルギーのチェリストである二コラ・デルタイユ氏と、4月20日にシューマンの「幻想小曲集」を弾かせていただくことになり、講習会が終わってから1ヶ月間、何度か伴奏法のレッスンを受けたりして、まさに伴奏の練習に明け暮れる日々を過ごしておりました。
さらに、これも全く想定外のことだったのですが、連休明けに急遽声楽伴奏のピンチヒッターをつとめることになったのです。それも、たった3日間の準備期間で。ベテランの伴奏ピアニストでしたら、それもある意味普通の話でしょうが、私の場合は、伴奏法の勉強を始めてまだ日も浅く、曲を聞き知ってはいても全て譜読みからのスタート、しかも欧州歌劇場で30年のキャリアをお持ちのベテラン歌手の伴奏なのですから、これは本当に無謀きわまりない話。とはいえ、たとえピンチヒッターであっても、お引き受けした以上は、何が何でも本番までに仕上げて形にしなければならない、それがたった3日間の準備期間であったとしても…。
ということで、今回は、伴奏ピンチヒッターとして過ごしたそれはそれは濃密な3日間について、お話することにいたしましょう。
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★5月10日(金)夜
ことの起こりは、5月10日(金)の夜9時半過ぎのこと。フランス人ピアニストのエリック・ル・サージュのリサイタルから帰宅して、演奏会の余韻に浸りながら気分よく自宅の玄関に入ったところで私の携帯電話に着信が…。タイミング的に上手く電話口には出られなかったのですが、発信者を確認したところ、メゾソプラノの古田昌子先生からのお電話…。昌子先生といえば、ついこの前(5月6日)芦屋で坪井真理子先生(ピアノ)とリートのリサイタルをされたときにお会いしたばかりで、真理子先生とともにこちらのスタジオにも来られたことのあるお方だけれど、それにしても何かしら…。
すぐに、折り返しお電話申し上げたところ、こんなやりとりが続きました。
昌子先生:「5月14日(火)は空いているかしら?」
私:「この日でしたら空いています」
昌子先生:「この日のあなたのご予定は?」
私:「この日はフリーです、私」
昌子先生:「なら芦屋に来て下さることできるわね」
私:「はい、それも可能です」
最初のうちはてっきりスタジオの空き状況についてのお問合せだと思っていた私、この後昌子先生から発せられた言葉にびっくり仰天することになるのでした。
昌子先生:「実は、この日芦屋で予定されている歌のコンサート、今日になって伴奏ピアニストの方がキャンセルされることになったので、急で申し訳ないのだけれど、あなたに伴奏お願いできないかと思って。あなた確か歌曲が大変お好きとおっしゃっていたし、それに、ぜひ一度歌曲合わせてみましょうね、ということだったし…」
ええええっっっ!!!!!何ですって!!!!!今日、金曜日の晩でしょ。で、火曜日のお昼が本番???
しかし、このときの私、どういうわけか、「このお話は、どんな努力を払ってでもお引き受けしなければならない」と直感的に思ってしまったのでした。ちょうど、今井顕先生に「ピアノをいただきたい」と申し上げたときと同じようなノリとでも申しましょうか。理性的に考えれば、伴奏法のレッスンを受けているとはいえ、まだ日も浅く、経験も少ない初学者レベルですから、いくら代役とはいえ、ヨーロッパの歌劇場で30年も活躍されていたベテラン歌手の伴奏をお引き受けするなどということは、分不相応極まりない話。ですが、そんなことはどこかに吹っ飛んでしまっていて、「とにかく、何が何でも3日間で何とかしなければならない」という気持ちだけで頭の中がいっぱいになってしまったのです。気がつくと、「やれるだけのことはやってみます」とお返事申し上げていたのでした。
昌子先生:「シューベルトは、 Frühlingsglaube と Nacht und Träume と Gretchen am Spinnrade の3曲。そのほかに、日本歌曲では、この道・浜辺の歌・待ちぼうけ・初恋・荒城の月、最後に夏の思い出、オペラはヘンデルのラルゴと、ビゼーのハバネラと、サン=サーンスのサムソンとダリラね。楽譜はご用意してお渡しするとして、それは日曜日の午前中になるかな。そのときに、簡単なプローベもしましょう」
私:「私も土曜日は、スタジオのご利用予定等があるので、正式な楽譜は日曜日に受け取ることで承知しました。シューベルトについては調性を確認させていただけますでしょうか。一応、3曲とも中声用の譜面は持っていますので、先行してこれで譜読みを始めておきます。あと日本歌曲では、初恋の譜面を持っています。ラルゴもそれらしい譜面は持っています。ただ、サムソンとダリラは生憎持っていないのです。なので、シューベルトからまずはとりかかることにしますね」
電話が終わってからは、とにかく持っている楽譜とCDを引っ張り出し、動画検索等も行いながら(←今はこれが出来るから便利ですよね)、翌日鍵盤の前に座ってある程度弾けるように、夜中ひたすら譜面を見ながらのイメージトレーニングを行うことに専念したのでした。
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★土曜日(5月11日)朝
この日は、朝の10時半から夕刻まで、スタジオでは坪井真理子先生が何人かの生徒さんのレッスンをされることになっていました。なので、スタジオを使えるのは朝のうちと夜間だけ。まずは朝練!ということで、8時頃からひたすら譜読み作業を続けていきました。真理子先生が来られるまでにシューベルト3曲と初恋の譜読みをと思っていたのですが、やはり予想通り Gretchen am Spinnrade の譜読みに手こずり、初恋の譜読みは出来ていない状態のまま、真理子先生ご到着ということになってしまいました。
ただ、これも天の助けというべきでしょう。シューベルトの3曲は、いずれも5月6日に真理子先生が昌子先生の伴奏をなさったばかり。今おうかがいできることは聞いておこう、ということで、私は真理子先生に泣きついたのでした。初恋については、先生の前での初見だけれども、もうそんなこと言っていられないから、これもおつきあいいただくようお願いしてしまおう。
私:「先生、昨日の晩に、昌子先生から火曜日のコンサートの伴奏の代役を依頼されたのです。とにかく火曜日までに仕上げなければならないので、今譜読み中なのですが、助けていただけないでしょうか」
そうしたら、何のことはない、真理子先生からのこんなリアクション。
真理子先生:「あ~、あの話、あなたのとこに行ったん?そうやったんかぁ~。いや~、昌子さんから14日お願いできませんか、ピアニストがキャンセルになったんで、という電話あったんやけど、私その日にライプツィヒに戻るんで無理、という話してたんや~。そうかそうか~がんばりや~。見てあげるわ~」
ということで、本当の初見状態でしたが、譜読み違いのチェックもしていただきながら、テンポや演奏上の注意点等をおうかがいすることができたのは、本当に幸いなことでした。
真理子先生:「昌子さんの場合、 Gretchen の accelerando は、そんなにむやみに速くならなかったような気がするわ。で、昌子さん、声大きいから、もっとしっかり弾かなあかんで。ここの部分はちゃんと見て、完全に切れたのを確認してから入るんやで。そうそう、 Gretchen は、3度高い(オリジナルの高声用の)調性やったかもしれんで」
…といった具合に、共演経験がおありの方から直接お話をうかがえたのは、本当に幸運なことでした。
真理子先生にスタジオをお貸ししている間は、自宅に戻っての練習。土曜日は、何度も自宅とスタジオを往復しながら、何とか練習時間を確保するように努めました。
余談ですが、スタジオを作った当初、今自宅に置いているもう一台のグランド・ピアノもスタジオに置いて、2台ピアノのスタジオにすることも一瞬考えました。が、今回のような場合、やはり自宅にピアノを置いていて正解でした。スタジオをお貸ししていても、私自身が練習しなければならないときには、何とか対応できますので。「ああ、もう一台グランド・ピアノ欲しいな~」と思わなくもないですが、それは私が運よくもっとお金持ちになった場合のお話ですね…。
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★土曜日(5月11日)夕刻
周囲も暗くなってきた頃、未着手の作品がまだかなりあることがかなり心配になってきました。シューベルトもさることながら、やっぱりサン=サーンスも気になるなあ。多分あのアリア( Mon coeur s’ouvre à ta voix )だろうな、と思いながら、 Elina Garanca の動画をチェックしていたとき、ふとある考えが思い浮かびました。そうだ…、お客さまにスタジオをお貸している間に、ひとっ走り河原町三条まで行って楽譜見てこようか…、どうせ10分か15分あれば行けるし…。ひょっとしてあるかもしれない。明日まで譜面を待っていては遅い…。今晩譜読みできるなら、それに越したことはない…。
そう思って、河原町三条近くの楽譜売り場に飛び込んだ私。あるじゃないの!!!! ― フランス オペラ アリア名曲集/メゾソプラノ・アルト ― ひとまず、これで準備しておこう。それに、フィッシャー=ディースカウ編の原典版のシューベルト集、これもいただきだわ。中声用だけじゃなく、高声用もね。 Gretchen am Spinnrade は、ひょっとすると高声用の調性になるかもしれないから、こちらも練習しておかなきゃね。それに、今まで持っていた譜面のあの部分、疑義があるし…。シューベルトの原典版を見慣れてくると、昔持っていた楽譜のそこかしこに?マークが付くのよね。案の定、思った通りだったわ。原典版に当たってみて正解。
楽譜を買い込み、お客さまもお送りした後は、防音スタジオに籠って、ひたすらサン=サーンスの譜読みと Gretchen am Spinnrade の移調練習。あっという間に夜中になってしまいました。
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★日曜日(5月12日)
朝8時からスタジオ入りして朝練開始。サン=サーンスは、テクニックが要るけれども、譜面自体は案外見やすい。基礎テクニックがある人ならこれ簡単だろうな~。やはり、もっと基礎力つけなくちゃね、などと思いながら、 Elina Garanca の録音に合わせて練習。一方 Gretchen am Spinnrade は、高声用を Gundula Janowitz と Renée Fleming の録音で、移調練習を Christa Ludwig の録音に合わせて練習。まさに泥縄以外の何ものでもないわ。それにしても、日本歌曲の伴奏って、案外弾きにくい…。外すと目立つし!!!
11時半に昌子先生がスタジオにご到着。遠いところをわざわざ楽譜のコピーをお持ちいただいたのでした。そして、その場でざっと一通りプローベ。完全に初見の曲もありましたが、やはり弾いた回数、合わせた回数がものを言うと思いましたので、なんとサン=サーンスも含めて(!)その場でプローベしていただきました。相当覚束ない状態だったと思うのですが、曲想やテンポその他注意事項も含めて、とても明確にご指示いただけましたから、イメージも作りやすかったですね。やはりベテランの先生だけに、何とか形にして下さる、という一種の安心感もあって、冷や汗の連続ではあったものの、少し光明が見えてきたような感じでした。
合わせているうちに、若い頃から聴き込んでいたシューベルトが、実は一番安心して弾けることが判明したのでした。歌詞も音楽もすっと身体に入って来ますし(それは長年ドイツでご活躍されていた昌子先生の卓越した歌唱によるところが大きいのです!)、なんとなく世界観を共有できるような感覚がありました。ドイツ歌曲は絶対に難しいはず、と思っていたけれども、出来はさておき、私にはこれが一番楽。心配していたサン=サーンスも、テクニックの問題はあるとしても、案外曲に入って行きやすい。それより問題は、音の少ない日本歌曲じゃないの!!!!!手にもはまらないし、どうもしっくり行かない…。これって予想外の展開!!!!
昌子先生が帰られた後は、これまであまり練習できていなかった日本歌曲や、他のオペラ・アリアも練習に注力することにしました。せっかく大好きなシューベルトの歌曲を弾く機会が出来たけれども、ゆっくり味わう暇などないな…そんなものかな~。
かくして、この日も夜中までひたすら練習を続けたのでありました。
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★月曜日(5月13日)
月曜日は、京都市立芸術大学での講義に出席しなければならないため、朝は大学へ(←注:実は4月から単位を取得するため通学中)。通学途上も、講義開始前の時間帯も、ひたすら楽譜と睨めっこ。でも、音楽学校の教室ですから、必死の形相で楽譜を睨んでいたとしても、全く何の違和感もないのは助かりますね~。これが、以前の職場だったら、相当違和感あったはず…。
講義終了後はスタジオへ直行、15時半からの2回目のプローベに向けてまたまた猛練習して、それなりに自分でも弾けるようになったかと思っていたものの…。
いざ合わせてみると、思ったようには弾けず、自分の未熟さにかなり落ち込んでおりました。
もっとも、2回目のプローベは、これも本当に不思議な偶然なのですが、私の高校時代の部活の先輩である指揮者の阪哲朗さんと、昌子先生がスイスの歌劇場で一緒に働いていらっしゃったとのことが判明し、ひとしきりその話題でも盛り上がりました。あまりの世間の狭さにただただ驚きですね。そのためか、カリカリしていた私の気持ちが自然と明るくなっていったのも事実でした。本当に、人の世のご縁って不思議!!!
泣いても笑っても、今晩が練習できる最後の機会。とにかくやれるだけのことはやろう、とこの日も夜までスタジオに籠りきりでした。
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★火曜日(5月14日)
とうとうこの日を迎えてしまいました。泣いても笑っても本番はすぐそこです。自分の満足のために好き勝手に弾くものではなく、聴きに来て下さるお客さまのために最善を尽くして責任をきちんと果たすしかない…。そう思いながら、芦屋の某所における、最後のプローベ。本来2回程度のプローベで本番を迎えるのが普通なのでしょうが、とにかく付け焼き刃の私のために、3度もプローベをして下さった昌子先生には本当に感謝感謝の一言です。日本歌曲、やはり私には難しく感じましたが、そんなことを思っている場合ではありません。やるべきことはやる、それしかない、と何度も自分に言い聞かせておりました。
そして、本番。とてもよく響く場所で、昌子先生の高音部の明るい伸びが、それはそれは心地良く聞こえてきたのでした。伴奏しながら、その声を吸い込むように受け止めるのが本当に気持ちよかったです。もちろん私の未熟さもあり、不本意な箇所もあったのですが、とにかく最低限音楽を止めないことだけは死守できたのではないかと思います(←なんというレベルの低さ!)。東大ピアノの会時代に身につけた「イカ弾き」(東大ピアノの会時代の仲間用語で「イカサマ弾き」のこと)テクニックも、出来ることなら封印したかったのですが、特に日本歌曲で何度か発動した場面があり、それは今後の課題だな、と思った次第です。シューベルトもサン=サーンスも、そしてヘンデルも、思ったより弾けなかったという印象でした。もっとも、シューベルトだけは、歌詞と息づかいに呼応しながら、多少なりとも音楽をともに作り上げていく感覚を掴めるようになってきたのではないか、という軽い手ごたえのようなものも同時に感じておりました。

最後のアンコールは、この季節らしく夏の思い出。お客さまとともに歌って過ごしたこの時間が、実に幸せでした。お客さまから力をいただくってこういうことか、ということをヒシヒシと感じる瞬間でしたね。
終演後、記念撮影をしたり、お客さまとお話をしたり。こんな拙い私の伴奏でも、嬉しそうに聴いて下さる方がいらっしゃったのことに、大いに感動しながら、終わってみれば、本当に素敵な時間だったな、と幸福感いっぱいのひとときとなりました。
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それにしても、3日の準備期間で12曲(約50分)の伴奏の準備をするという私史上前代未聞のこの事態を通じて気づいたことは、いわゆる「火事場の馬鹿力」というものが、私にもどうやら備わっているらしく、切迫した状況では1日12時間を超える練習も全く苦にならないものなのだな、ということでした。それとともに、基礎力不足を思い知らされたのも事実です。プローベや本番の録音を聞くと、やはり愕然としますね。これからも、基本に忠実に、地道に学んでいきたい、と改めて思ったのでありました。
最後に、今回貴重な機会を下さった古田昌子先生(本当に沢山のことをお教えいただきました!)、譜読み段階なのにもかかわらずいろいろご教示いただきました坪井真理子先生、いろいろとご協力いただきました方々、そして演奏を聴いて下さったお客さまに心から感謝申し上げます。
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【追記】
その後、古田昌子先生といろいろお話させていただきました。なんと6時間、もっとかな、とにかく楽しいお喋りタイムでした。とにかくお話は尽きなくて…。これもいい思い出になりそうです。