先月(11月)21日から配信中のオンラインプログラムの第2弾のテーマは、タイトルに記載された通り「シューベルトの緩徐楽章」です。
チラシの画像をご紹介します。この「少女趣味」なチラシをデザインしたのは、誰あろう私です。
ところで、今回の曲目表記をご覧になって「あれ?」と思われた方も多いのではないでしょうか。
通常であれば、
シューベルト:ピアノ・ソナタ 第18番「幻想」 D 894 Op.78 ト長調
といった表記になるはずですが、今回はそうもいかない事情があるのです。
- 今回は緩徐楽章のみをとりあげるため第1楽章の調性を書いても意味がない
- シューベルトの場合作品番号(通常 Op. で記載)がついている作品が少なくドイッチュ番号(D 番号)で記載せざるを得ない
- ピアノ・ソナタの番号についても版によって異なるものがある(例:D 575 の場合…第9番とする版と第10番とする版がある)
…とまあ、そういう理由で、えらく簡略化された書き方になってしまっているわけですが、「そう書くしかないでしょ」(←今井顕先生・談)ということだったのです。
それにしても、ピアノ・ソナタの緩徐楽章ばかりをとりあげる、という試みは、オンラインならではのものだと思うのですが、演奏者の今井顕先生、第1弾の配信プログラムを企画するよりも前から、「緩徐楽章ばかりをとりあげてみる、なんてこともやってみたい」と何度となく仰っていました。今井先生の場合、実は、かなり以前から「緩徐楽章プロジェクト」構想をお持ちだったようで、その構想を生前の礒山雅先生にお話されたこともあるのだとか。ですから、今井先生ご自身としては、それなりに長い間温めてこられたプログロムでもあるわけですね。
ところで、緩徐楽章って何? ― という方もいらっしゃると思いますので、最初に少しだけ私の理解について記しますと、多楽章形式の西洋音楽(ソナタや交響曲等)において、古典派の時代には主として第2楽章に配された比較的ゆったりしたテンポの楽章を指す言葉といったところでしょうか。第1楽章とは異なる調性(ただし属調等の近親調)で書かれるのが慣例だったようです。
…と書いたたところで、ちょっと待てよ、と思った私。
「緩徐楽章が第2楽章であるとは限らず、第3楽章に配置されることもあるじゃないの ― ベートーヴェンのハンマークラヴィーア・ソナタ(第29番 Op.106)、あの長大な緩徐楽章は確か第3楽章だったわよね?」とか、「ベートーヴェンの Op.109(第30番)ともなれば、ソナタ形式の第1楽章にはしばしば Adagio が現れるし、第2楽章は第1楽章の同主調で書かれた速い楽章、続く第3楽章が緩徐楽章的な性格といえるかもしれないけれど、第1楽章と同じ調性で書かれた変奏曲にして最終楽章じゃない?」とか…。すぐに上述の枠組みからの逸脱事例が思い浮かんだりするのです。
確かに、緩徐楽章が第2楽章に配される場合と第3楽章に配される場合があるのは事実で、ベートーヴェンよりも時代が下ったショパンのピアノ・ソナタの場合、緩徐楽章は第3楽章に置かれていますし、ブラームスに至っては、第2楽章が緩徐楽章になるケース(例:ピアノ五重奏曲 Op.34)と第3楽章が緩徐楽章になるケース(例:ピアノ協奏曲第2番 Op.83)がありますね。
調性の選択という観点では、第2楽章が緩徐楽章になる場合は、概ね1楽章と異なる調性を選択されるように思いますが(あらゆる楽曲を調べたわけではありませんのであくまでも私の経験的感覚ですが)、第3楽章が緩徐楽章になる場合は、第1楽章と同じ調性が選択されるケースも結構見られるようです。ということは、ある程度枠組みの慣行のようなものはありながらも、自由度がある領域なのかもしれません。
いきなり、緩徐楽章の配置と調性選択の話をしてしまいましたが、今回は「シューベルトの緩徐楽章」がテーマですから、シューベルトのケースはどうかということですが…。今回、配信でとりあげられているシューベルトのピアノ・ソナタの場合は、次のようになっています。
- 緩徐楽章は第2楽章に配置されている
- 第1楽章の関係調が選択されていることが多い(例外は D 960)がとにかく第1楽章とは異なる調性である
演奏順に並べてみますと、次のようになりますね。
D 575 Op.147
第1楽章 ロ長調 ⇒ 第2楽章 ホ長調(下属調)
D 568
第1楽章 変ホ長調 ⇒ 第2楽章 ト短調(属調の平行調)
D 664 Op.120
第1楽章 イ長調 ⇒ 第2楽章 ニ長調(下属調)
D 850
第1楽章 ニ長調 ⇒ 第2楽章 イ長調(属調)
D 894 Op.78
第1楽章 ト長調 ⇒ 第2楽章 ニ長調(属調)
D 958
第1楽章 ハ短調 ⇒ 第2楽章 変イ長調(下属調の平行調)
D 959
第1楽章 イ長調 ⇒ 第2楽章 嬰ヘ短調(平行調)
D 960
第1楽章 変ロ長調 ⇒ 第2楽章 嬰ハ短調
さて、細部にわたるようで恐縮ですが、最後のソナタとされている D 960 、第1楽章の属調の平行調であるニ短調ではなくて、その半音下の嬰ハ短調という調性が第2楽章に選択されている点は大変興味深いですね。ニ短調から半音下がることでより幻影的な効果があるように感じるのは私だけでしょうか。嬰ハ短調、ショパンはよく使っていたようですが、一般的には「あまり使われないくすんだ調性(←特に弦楽器ではくすんだ印象が強い)」といったところではないかと思います。
この嬰ハ短調という調性は、最後のソナタ D 960 の第2楽章のみならず、 実は D 959 の第2楽章でも中間部の最も緊迫した場面で使われています。シューベルト研究で有名な堀朋平先生は、確か「トラウマ」を象徴する調性だとおしゃっていたような気もいたしますが、シューベルトの心象風景を考えるうえで大きな意味を持つものであろうことは間違いないように思います。
あらあら、気がつくと楽章構成と調性選択に関する小難しい話が続いてしまいましたね。でも、「緩徐楽章」に注目すると、見えてくるものがいろいろありそうです。そのあたり、また稿をあらためてご紹介できればと思います。
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