配信よもやま話・第1回に続き、現在配信中の「シューベルトの緩徐楽章」の話題です。皆さまに心ゆくまで楽しんでいただこうと、長めの配信期間を設定いたしましたが、配信期間も残り半月程度、気がついたら配信期間終了となってしまわないようご注意を。ぜひ今すぐアクセス下さいませ。何度も何度も鑑賞いただくことを前提に、丁寧に映像をお作りしておりますので、ぜひ思う存分お楽しみいただければ、と思います。

ところで。

皆さま「緩徐楽章」には、どのようなイメージをお持ちでしょうか。以下は、発言者名は伏せますが、いずれも、私が実際に見聞きしたことのあるピアノ弾きの声です。

  • 子供のとき「ソナタは第1楽章と終楽章のみ勉強するもの」というイメージで緩徐楽章は割愛することが多かった
  • 緩徐楽章はつかみどころがなくて眠くなるので、弾きたくないし、あまり聞きたくない

ええっ??? 

確かに、情緒とかどうでもよくて、ただ音圧に痺れたい爆音系ピアノ弾きが一部存在するのは知っていますが、極上の音楽を食わず嫌いするのはいかにも「もったいない」です。

さらに、「シューベルトの緩徐楽章」については、こんなことまでまことしやかに囁かれていますね。

  • シューベルトの緩徐楽章は、冗長で構成が弱く、歌があふれるがままに作曲している

多分シューベルトの緩徐楽章に向き合ったことがない人なのでしょうね。そんなことをおっしゃるのは。

もしもこのような方が世の中に多くいらっしゃるというのであれば、少々残念な気もいたしますし、そういう方にこそ、一度シューベルトの緩徐楽章の本当の姿を味わっていただきたいと思いますね。きっと認識が変わると思います。


★ 最も緊迫感に満ちた楽章であることも

長大なシューベルトのソナタの曲中で、最も緊迫感に満ちた楽章が第2楽章という例も結構見られます。ダイナミックレンジが最も広くなるのが第2楽章というケースも結構ありますね。

例えば、D 959 (第20番)の第二楽章は、冒頭の孤独感漂う調べからしてただならぬ気配が感じられますが、中間部に至って出現する悲劇の嵐の激しさは、まさに運命との葛藤そのもの。身を切り裂くような非情さの後に待っているのは、もっと残酷な運命と嘲笑。この曲のどこが「つかみどころがない」のでしょう?ちなみに、この楽章は「しっかりとした三部形式」で作曲されており、「構成が弱く、歌があふれるがままに作曲している」という指摘からは最も遠いところにあるといって差し支えないでしょう。

あるいは、D 894 (第18番 Op.78 「幻想」)の第二楽章の「感情の変化の激しさ」も特筆に値すると思います。典雅でやわらかなアンダンテのメロディーによって醸成された空気感は、突如鋭く厳しい和音によって一変します。この緊張感は一体何なのでしょう。曲は、その後、愁いを帯びた調べを経て、軽やかな装飾を伴ったアンダンテ主題へと続いていきますが、またも、厳しく緊張感ある和音によって打ち砕かれます。このような「感情の起伏の激しさ」にみちた楽曲も、最終的には、もとのシンプルなアンダンテ主題に回帰して形式上の見事な統制がはかられるあたり、お見事というほかありません。


★ 雄大な自然描写

「ガスタイナー(ガシュタイナー)」の愛称で知られている D 850 (第17番)の第二楽章は、オーストリア・アルプスの自然がそのまま映し出されたような雄大さに満ちています。その牧歌的な美しさと微妙な色彩感は、名手でなければ表現することが難しいかもしれません。でも、名手の手にかかれば、雄大な自然の息吹に包まれるような感覚を味わうことができます。この曲を聞いて、仮に「冗長で天国的な長さ」だと感じるのであれば、残念ながらそれはピアニストの腕によるもの、と思った方がいいでしょう。


いかがでしょう。いわゆる「ステレオタイプの緩徐楽章」とは全く異なる、豊かで意外性に満ちた「シューベルトの緩徐楽章」の尽きせぬ魅力を一人でも多くの方に味わっていただきたいと思っています。

もし、「これまでシューベルトの緩徐楽章に対して抱いていたイメージと違うかもしれないぞ」と思われた方は、ぜひ一度ご自身でお確かめになってはいかがでしょうか。年末年始の豊かな時間を「シューベルトの緩徐楽章」とともにお過ごしいただければ幸いです。