
「あなたたち、いくつまで生きるつもりですか。まさか人生80年、とか思っていないでしょうね。そんなに早く人生終われると思っているのですか。甘い!甘すぎる!人間そんなに簡単に死ねないです。いいですか、最低でも80歳位まではバリバリ現役として働くんですよ!場合によっては90歳過ぎても働かなきゃならないんですよ!わかってますかっ!」 ― 先日、とある講演会で熱弁をふるわれていた方のご発言です。確かに、リンダ・グラットン&アンドリュー・スコットによる『ライフ・シフト ― 100年時代の人生戦略』が注目されていますからね。人生80年を前提にした各種人生設計は、否応なく見直しを迫られる、まさにそんな時代に突入したわけです。演者の先生も力説しておいででしたが、「60歳で定年という制度は、少なくとも人生80年を前提にしたものであって、人生100年時代を前提にしたものにはなっていない。人生100年時代にあって、60歳の定年を迎えてから第二の人生を考えていたのでは遅すぎる。それでいて、60歳から先、まだ40年を生きなければならない。だからこそ、後半生のあり方は50歳の段階である程度考えていなければならない!」ということらしいのです。
この文章を書いている時点で、私はまだ50歳の声を聞いてはいないのですが、しかしそう遠くないところにまで迫っておりまして、決して他人事ではないのであります。まあ、どうしましょう。「…三十而立、四十而不惑、五十而知天命…」だそうですが、40歳をとっくに超えても惑うことばかり、50歳になっても天命を知ることができるのか甚だ疑問…の発育不全児そのものなのですが、そんな悠長なことを言っていてはいけないのかもしれません。第二の人生を本格的に考えなければならない時期にさしかかっているのは、どうやら本当らしい…。
それはそれとして、今年は私にとって大きな転機の年となりました。おそらくこれからの後半生のキーとなるであろう出来事が立て続けに起こったのです(最大の事件は言うまでもなくこちら)。そして、これからもいろいろと起こり続ける予感…。当面、ワクワク・ドキドキは続きそうな気配なのであります。そういう年回りなのでしょうか(天中殺と聞いていたような気もしますが…)。こうした一連の事件は、ちょっとした偶然の積み重ねなのですね。本当に驚きです。
こうした状況、もちろん自分で予定を立てていたわけではなく、全て予期せぬストーリーを伴って発生していたことではありましたが(特に二台目のピアノがやってくるなんて本当に年初の計画にはありませんでしたから!)、それでも自分の意識の奥深くにおいて、何かを手繰り寄せていたかもしれないな、という実感はあります。「世の中でよく言われている『引き寄せの法則』ですか?」って? ― 私は、スピリチュアルの専門家ではありませんから、詳しいことはよく分かりません。ただ、今にして思えば、昨年の夏以来、あることを考えるようになったことが、一連の事件を引き起こした遠因になったのではないかな、という気がしているのです。それは…。
もし夢が叶うならどんな人生送りたいんだろう
たぶん何よりも音楽が好きなんだろうな
ならせめて老後は音楽を生活の中心に据えたいな
人間この年になっても少しは上達できるのかな
そう信じたいな
ならせめてもう少し上手くなりたいな
振り返れば、私の前半生、もちろんそれなりに輝いていた瞬間もあったかもしれないのですが、大半は失敗と挫折と妥協ばかりの「落伍者人生」でした。「夢」や「希望」の類も、大学生の頃まではそれなりに抱いていたかもしれませんが、20代半ばで自ら全て封印してしまったような気がします。会社員人生は、もちろんそれなりに忙しく、充実もしているのですが、組織で働く以上、多少なりとも「借りてきた猫」状態にならざるを得ないところもあります。残念ながら、会社員としての私は、情けないほどに凡庸極まりないですし、我ながら魅力を感じません。
そんな風に生きることに疲れていたのでしょうか、ここ数年は、文字通り問題山積でした。人間関係の悩みに起因する摂食障害(軽度でしたが)、仕事中の事故による大けが(そのときの記事はこちら)、そして人事異動に伴って襲ってきた燃え尽き症候群…。まさに、完全に人生の歯車が狂ってしまいました。
そんなどん底を這っていた私ですが、ありがたいことに、カウンセラーの先生からいただいたこんなアドバイスが支えになりました。
人生で起こるあらゆる障害や問題 ― それはその人が超えられるものしか起こらない
過去と他人は変えられないが未来と自分は変えられる
「そうか未来は変えられるのか。ならせめて未来を向いて生きようかな。どんな未来を欲しているのかな、私は。」 ― 多分、昨年の夏頃から、そんなことを時々考えるようになっていたのだろうと思います。具体的に何かをしたいとか、そこまで考えは至らなかったのですが、それでも自分の中で少しずつ「ありたい未来」にフォーカスするようになっていきました。だからでしょうか、今井顕先生がピアノを手放されるご意向をお持ちだとうかがったとき、ほとんど瞬間的に手を上げてしまったのですね。それまで、具体的にどうこう考えていたわけではなかったのですが、まさに堰を切ったように、いろいろな考えがあふれ出てきたのでした(恥ずかしいことに、その考えを全部今井先生にお知らせしてしまいました!)。
小ぶりでもよいから京都の地に上質な文化拠点を作りたい
中途半端なものではなく本物の芸術が実践され広められる拠点を作りたい
夢みたいなことではあるがもしも楽器をお譲りいただけるのであればぜひ実現させたい
ぼんやりとした夢が、現実のものとなって私の目の前に現れた今、このとき勢いで今井先生に口走ったことは、単なる思いつきから、必ず守るべき「お約束」に変わっています。まさに、「公約」とも言うべきものでしょう。
あの事件から約半年、目の前に見える風景はがらりと変わりました。会社員生活では見えていなかった何か、それは、どんなに小さくてもスタジオのオーナー(=経営者)であり、音楽に関わって対価をいただく身である、ということから生じるものです。それは、責任・覚悟のようなものが求められる世界。突きつけられる課題は「奥深い芸術の世界を追求し、表現し、伝え、広めるために、自分に何ができるのか、何を世の中に提供できるのか」というもの。もはや、ふわふわとした夢物語の世界ではありません。その意味で、50歳からの後半生をどう生きるか ― 私自身まだ明確な答えを得たわけではありませんが、期せずして方向性が見えてきたような気がしています。
そうそう、現時点において一つだけ決めていることがあります。それは、「これからの人生、自分自身の本質にそって生きる」ということです。せめて後半生は、自分らしい生き方をしたいですから。