
私の尊敬するある経営者の方が、以前、「理屈をこねるよりも、結局直感だね」と力説されていたことがありました。あるいは、私の尊敬するある女性科学者も、「結局イノベーションは直感で起こる。普段から、学生には『頭で考えるな』と指導している。もっと『感じろ』とね。直感については、理解されにくいから、軽視される。もっとも、誰でも理解できるようなことで、世界をリードできるかっ…てね」と仰っていました。そうはいっても、ビジネスの現場において、例えば、上司から「どうしてそう思うのか?」と問われたときに、「これは私の直感です」と答える部下は多分あまりいないものと思われます。すかさず「それじゃ合理的な説明になっていない」と却下されることでしょう。はたまた、「隠したってそんなのすぐわかるわよ、女の直感よ!」と言われて閉口する男性諸氏も結構多そうですし(?)。今日は、そんな功罪半ばするとされる(?)「直感」にまつわるお話。
今年のお正月を迎えた時点では、まさか私が2台目のピアノ(それもベーゼンドルファーではなくてスタインウェイ!)を保有し、置き場所に窮した挙句、急遽場所を借りてスタジオを作ってしまう、などということは想像すらつかなかったことでした。まさに青天の霹靂とはこのことです。その昔ベルリンの壁が崩れたときもそうでしたが、物事が動くときというのは、当事者の予想よりもはるかに早く、かつ当事者の予想をはるかに越えた展開となるようで、これこそ「事実は小説よりも奇なり」ということなのでしょう。
2月も半ば過ぎを迎えた頃のこと。お世話になっている今井顕先生の大阪におけるミニコンサート&レッスンが終わり、たまたま夏の予定を調整するため今後のレッスン日程を確認しようと、今井先生のホームページを拝見したら…。なんと(!)「ピアノ売ります」ですって?ピアニストがピアノを「断捨離」するっていったい…?え~~~??
次の瞬間(ほぼ3秒後)、私の直感が「これ絶対欲しい、何が何でも欲しい」と凄まじい勢いで大騒ぎを始めました。何故そう思ってしまったのか、自分でも分かりません。朝の通勤電車の中で、憑き物でも憑いたかのように、先生宛に「喉から手が出るほど欲しいです」というメール(それも結構長文のメール!)を書いていたのでありました。「先生がピアノを手放されるのであれば、大変興味があります。喉から手が出るほど欲しいです。こんな好条件の楽器、そうそうあるものではございません。70年頃のハンブルクのB、持ち主もメンテナンス技術者も明らかになっている信頼できる楽器など、探してもそうそう見つかるものではないからです…」とか何とか…。なんとまあ饒舌な…!!
どうやら、そのときの私の理性は、全くの寝起き状態だったのかもしれませんね。理性がちゃんと働いていたなら多分「もう一台ピアノ買うって、どこに置くのよ?置く場所すらないじゃない?先生が手放される事情確認しなくていいの?それに、ベーゼンドルファーじゃなくて、スタインウェイよ!何考えてるのよ!」とブレーキをかけたのだろうと思うのです。が、そのときばかりは、理性というものはとんと作動しませんでした。
程なく、今井先生から「既に問合せが数人あり、ヨメに行き損なったら連絡します」という返信が届き、妙にがっかりした気持ちと、ほっとした気持ちとが交錯、何とも複雑な気分を味わいました。「ま、憑き物が憑いていたのよ。落ち着けってことね!」とささやく私の理性の声は、勝ち誇ったような不敵な笑みを浮かべていました。
そうこうするうちに、2月も逃げるように去って行ったわけですが、ふと携帯を見ていたら、今井先生から「ピアノについて、話ができる素地が整いつつある」旨のメールが入っているではないですか!さすがに慌てました。最初ほとんど脊髄反応のような勢いで手を挙げてしまった私ですが、まさか本当に自分のところに話が回ってくることになろうとは…。既に私よりも前に数人希望者がいらっしゃったと聞いていたのに…。ああ、どうしよう…。
それからというもの、それでなくても鈍い頭を総動員しなければなりませんでしたが、不思議に「やっぱり辞退させていただきます」という考えは、一ミリも、一瞬たりとも浮かんでこなかったですね。どうすれば楽器をいただくことができるのか、実現するにはどうすればよいか、もうそれしか考えられませんでした。理性の声など、再びどこかへ吹っ飛んでしまったのでありました。
前々から防音室欲しいって言っていたじゃない…。
そもそも、平日に弾く時間がほとんどとれないのだから、この際願ってもないお話よね。
どうせなら、定年後のお楽しみに作ろうと思っていたスタジオ、さっさと今作ってしまえばいいだけのこと。
家賃さえ払えるレベルであれば、自己資金で何とかまかなえるかも…。
ピアノの置き場所は、家からそんなに離れていないところの方がいいなぁ。
そんなことをあれこれと考えながらバスに乗車していた私、河原町今出川交差点にさしかかったとき、ふと外を見たら…「あら、あそこが空いてるじゃないの!絶対この場所!ここしかないわ!」 ― わずか3秒で私の心の中では置く場所が決まったのでありました。そう、全くの直感ではありましたが、後からよくよく考えてみても、スタジオを作るなら最高の条件だったと思っています。西陣の自宅からも近く、交通至便、近隣には御所・相国寺といったお気に入りスポットが点在、都市部の便利さもありながら、緑豊かで文化の香りの漂う地域。周囲には、あらゆる美味しいお店が大集合しているし…(←そこですか?)。あれこれ考えて探すよりも、直感に従った方がベストな答えが出てくるものだ、とつくづく思うのです。
さて、3月9日(木)のこと。前日の今井先生の東京でのリサイタルの感激も冷めやらぬ状態で京都に戻った私は、その日仕事をお休みして、朝一番不動産屋さんに駆け込んだのであります。「もしも、空いているのでしたら、ぜひ貸して下さい。とてもいいグランドピアノが手に入りそうだから、防音工事をしてスタジオにしたいのです!ピアノの売買が決まるまで、待っていただけませんか。あるいは、期間を決めて優先交渉権をいただけませんか!」
不動産屋さんも、きっとびっくりされたことでしょうね。実は、この物件、私以外にも興味を示されている方がいらっしゃったそうです。そりゃそうでしょう、立地は最高なのですから。不動産屋さんからは、「3月14日までに決めてくれはるんやったら、そこまでは保留してもええ。そのかわり3月14日には手付入れてもらえることが条件や」と言われたのでした。案外交渉期間が短いなぁ、とは思ったのですが、年度末近い3月の不動産屋さんの事情を考えると、それは当たり前のこと。何とかしなければ!
大急ぎで今井先生に「14日までに不動産屋さんに返事をしなければなりませんので、ピアノを拝見させていただけませんか」という連絡を入れ、3月12日に今井先生のご自宅に設置されているスタジオを訪ねる約束をしたのでした。
3月11日の夕方には、いつもの調律師さんに急遽拙宅に寄っていただきました。西日本の主なホールのコンサート・チューナーとして、世界中のアーティストから信頼されているこの調律師さん、私も全幅の信頼を寄せているのですが、スタインウェイという楽器を知り尽くした方でもありますから、今井先生のスタジオを訪問したときに確認すべきポイントについても、こと細かく教えて下さったのでありました。響板の状態・ピン交換後のトルク・ハンマーの状態・響きの質…等々、いわゆる「想定Q&A」を作って下さいました。
そして、運命の3月12日(日)、うららかな晴天のもと、東京の今井先生のスタジオを訪問いたしました。先生、リサイタル直後でおそらくかなりお疲れだったと思いますし、翌日からお仕事でウィーンに行かれるその準備もしなければならないということでしたので、本当に貴重なお時間を割いていただいたわけで、こちら心中かなり恐縮しておりました。そんなこともあったのでしょうか、件のピアノにご対面となっても、妙に緊張してしまって、おそるおそるの試弾になってしまいました。
…が、次の瞬間私の口から出た言葉は、「こう申し上げては何ですが、予想通り、あまりにも予想通りという感じです(!)」 ― 先生に対してなんて生意気な物言いをするのでしょうね! ― でも、本当に予想通りの音色だったのです。何となく、どういう音がするピアノか、予め想像がついていました。これも全くの直感です。スタインウェイらしい長所は活かされつつも、派手さはなく、むしろ上品かつまろやか(←ここ重要!)な音色。抜け感もよく、音の成分も豊か…。ほらね、思った通りじゃない…。
調律師さんが用意して下さった「想定Q&A」も、一応一通り確認はさせていただいたのですが、パーフェクトすぎる回答が返ってくることぐらい、これも最初からわかっていたことでした。
その後、ピアノの譲渡・譲受の件も、置き場所の件も、めでたく契約締結と相成り、こうして、私のスタジオ作りも緒に就いたのでありました。結局のところ、「直感」だけでピアノの購入と場所を決めってしまった私ですが、何かが動くときは、結局「直感」と、「直感」に従う「決断力・行動力」がものを言うのではないかとつくづく思います。はたしてこの「直感」が出した答えが、吉と出るのかどうか…。それは今後次第ということでしょうか。