もう二週間ほど経過しましたが、今年も無事「鍵盤音楽の変遷」シリーズを開催することができました。ご来場のお客さま、会の運営にご尽力いただきました方々、そして、ともに演奏会を作り上げて下さった共演の皆さま方、まことにありがとうございました。心から御礼申し上げます。

毎回、演奏会の最後に、主催者からご挨拶かたがた少しお話をする時間を設けています。以下、今回お話したことをご紹介しようと思います。こちらのページへの掲載にあたり、少し補足・加筆しております。

ご笑覧いただければ幸いです。


「鍵盤音楽の変遷」シリーズを始めたときから、私の中でいつも変わらず持っている「視点」のようなものがあります。それは、ある楽曲が「誰の」作品かということももちろん重要ですが、「いつ」書かれたものかということもとても重要なのではないかということです。この視点を見失うと、ときとしてちょっとした誤解を生じてしまいそうです。

例えば、ハイドンとモーツァルト、あるいは(今回のプログラムにも含まれていた)フォーレとドビュッシーという作曲家を並べてみたときに、通常、ハイドンはモーツァルトよりも、フォーレはドビュッシーよりも前の世代の作曲家と認識されると思います。確かに、「世代」という意味でその認識は正しいでしょう。

ところが、ハイドンのオラトリオ『天地創造』は、モーツァルトの死後書かれたものですし、なぜか今やドイツ国歌になってしまっている皇帝賛歌、すなわち『神よ、皇帝フランツを守り給え』が書かれたのは、モーツァルトの没後かなりたってからのことでした。あるいは、フォーレの最高傑作のひとつであるピアノ・トリオは、ドビュッシーの没後の作品です。

今回、チラシの裏面にちょっとした年表を掲載してみました。眺めてみてみると、何となくいろいろなものが見えてくると思いませんか。

毎年お正月に行われるウィーンフィルのニューイヤーコンサート、そのアンコール曲として定番になっている『美しく青きドナウ』と『ラデツキー行進曲』も年表の中に入れてみました。『ラデツキー行進曲』は、当時ハプスブルク領だった北イタリアの独立運動を制したラデツキー将軍の凱旋を祝う曲として書かれたものでした。一方、『美しく青きドナウ』は、普墺戦争にオーストリアが負けて意気消沈する人たちへの励ましの曲でもあったようです。ただ、今日では、それこそニューイヤーコンサートにおいて、指揮者から平和を希求するメッセージが発せられた後にこの二曲が奏されますから、時代とともに音楽に与えられる役割も変わっていくもののようです。

あるいは、年表に記載されたフランス国民音楽協会の設立とパリ・コミューンは同じ年でした。いずれも普仏戦争にフランスが負けたことによるナショナリズムの高揚が契機となっていることは言うまでもありません。

作曲家は、無人島で誰とも接触することなく純粋に音楽を書いているわけではありません。他の作曲家や演奏家仲間との関わりも当然あるでしょう。日々音楽家として社会生活を送りながら創作活動を進めているはずです。そんなことを少し意識してみてもいいのでは、と思ったりしています。