人前でピアノを弾く機会がある方の場合、「舞台上の椅子の高さや鍵盤の状態、ペダルの踏み心地」等が気になる経験をお持ちの方も結構多いのではないでしょうか。

普段とは異なる環境でのパフォーマンスの場合、普段は意識にものぼってこないようなことが案外気になったりするものです。いつもとは異なる何かに違和感を覚え、それが気になってしまうこと自体は、ある意味自然なことでもあります。ペダルの硬さや鍵盤の重さといった楽器のコンディションについても、演奏者の気持ちに影響を及ぼしてしまうのは、ある程度までは致し方ないことだろうと思います。

こういった本番環境への反応、実は、個人差がある領域であるようです。例えば、椅子についてほとんど頓着しない方もいらっしゃる一方で、演奏前から椅子の高さや位置決めに相当程度神経をすり減らし、本番中も何となく椅子が気になって仕方がないと思うあまり、不本意な演奏に終わってしまう、という方も少なからずいらっしゃるようです。

こういった「環境へのとらわれ」が本番中の注意力の欠如へとつながってしまうと、結果として集中力を欠いた残念な演奏で終わってしまう可能性が高いですね。

確かに、人間は「環境」にとらわれやすい存在です。そして、過度に「環境」とらわれると、どうしてもイライラと不機嫌な状態になってしまいがちです。ですが、せっかく練習に多大な時間と労力をかけているのに、奏でようとしている「音楽」そのものではないところに注意が向けられるのは、やはり望ましいこととは思えません。

では、この問題をどのように考えるか、ということですが。幾つかの対策が可能ではないかと思っております。以下、順に列挙してみようと思います。


§1 「自分でコントロールできること」と「自分でコントロールできないこと」を切り分ける

まず、「自分でコントロールできること」と「自分でコントロールできないこと」を明確に切り分けることが重要だと思っています。この線引きは、場合によって異なることもあろうかと思います。

例えば、自前で行うソロリサイタルであれば、立ち会いをお願いしている調律師に整調(鍵盤やダンパの調整等)をお願いしたり、本番用の椅子を会場まで持ち込んだりするという選択肢も存在するかもしれません。もっとも、調律師に上述の対応を頼んだとしても、状況によっては(時間的な制約・予算的な制約等も含む)、望んだ結果が得られない場合もあるかもしれません。また、会場によっては、高さ調節もできないような椅子(←私経験あります!)と、お世辞にも良好とはいえないコンディションの楽器しか用意されていない場合もあります。

いずれにしても、人間は、今自分にできることしか実行できない存在なのですから、自分でコントロールできることだけに注力し、自分でコントロールできないことについては、その存在を受け入れたうえで、さっさと手放してしまう「潔さ」が重要ではないかと思います。


§2 「自分にとっての最適解」を理解するとともに「許容範囲」を日頃から広げておく

「自分でコントロールできること」については、「自分にとっての最適解」を明確化して抽出しておくことが重要です。これ、例えば、椅子の高さと位置についていえることですね。日頃から自分にとっての最適解を明確に意識しておくとともに、その最適解を常に再現できる方法を見出しておくことも重要だと思います。自分にとって最適な椅子の高さと位置関係をどうすれば正確に再現できるか、例えば肘の角度や鍵盤と上半身との距離感等、どこをどう確認すればよいのか、自分自身で予め見出しておきさえすれば、本番慌てることはないと思います。

それと同時に、日頃から、「自分にとっての最適解」の狭いストライクゾーンにとどまるのではなく、「許容範囲」を広げておく訓練も必要ではないかと思います。椅子が多少高かろうが低かろうが、はたまた多少近かろうが遠かろうが弾けるようにしておく、という練習はそんなに難しいことではありません。

あと、本番までに、普段とは異なる場所・楽器を触る機会を持つことも、「許容範囲」を広げるいい練習になると思います。


§3 それでも演奏中気になったら「音楽」に戻っていく

それでも、演奏中に「環境」が気になることは起こってしまうかもしれません。そうなったとき、気になってしまったとしても、気になってしまった自分を責めたり、無駄に抗ったりせず、静かに次の瞬間「今ここにある音楽」に戻っていけばそれでよいのだと思います。これは、雑念が浮かんだ場合の対処方法としても、とても重要なスキルで、いわゆるトレーニングが要る領域だと思います。


ちなみに、先日配布を開始したこちらの音声素材は、そういったスキル習得にも有効ではないかと思いますので、ご興味があありの方はお試し下さい。