既に申し上げたかもしれませんが、若い頃、私はドイツ・リートをこよなく愛聴していました。学生の頃は、ピアノ・ソロの演奏会よりも、リートの演奏会に足繁く通っておりまして、テノールのペーター・シュライヤーを筆頭に(「追っかけ」状態でした)、バリトンのディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウ、バス・バリトンのテオ・アダム、ソプラノのルチア・ポップの演奏会等、多くの「歌曲の夕べ」を楽しんだものです。歌曲王シューベルトは言うまでもなく、シューマン、ヴォルフ、ツェルター、R=シュトラウス歌曲あたり、文字通り「片っ端から」聴きまくっておりました。自分で買ったCDも大量にありますし(フィッシャー=ディースカウのシューベルト集は箱買いでした!)、当時よく利用していた文京区と北区の図書館では、毎週のように歌曲のCDを借りていましたね。若い頃は、エネルギーが有り余っていますから、それはそれは熱心に聴き込んでいました。

その後ドイツ・リートから遠ざかった時期もありましたが、やはり年をとってきたこともあるのでしょうか、歌曲作品の作り出す独特の世界観が何とも好ましく、ここのところリートに回帰しつつあったところです。そんな折も折でしたから、この度、ひょんなことから、シューマンの「リーダークライス」の中でも、大好きな作品である ‘Frühlingsnacht’ (「春の夜」)の伴奏をすることになり、狂喜乱舞したところまでは良かったのですが…。

歌曲の伴奏譜の場合、一見したところ初見でもある程度それらしく弾くことは出来そうですが、実際に歌手の方の伴奏をするとなると、そんないい加減なことでは許されません。歌詞の抑揚と伴奏の音型、歌手と伴奏の音域、呼吸や表現スタイル等、事前に検討しておくべき事項は多岐にわたります。

今回弾くことになった「春の夜」、聴いている分には幸福感弾けるすてきな曲ですが、実際に弾くのは…結構大変です。速いテンポの曲で、最初から最後まで和音連打の嵐。余裕をもって歌手の方と合わせられるようになるまでには相当の準備が必要です。

ということで、今日は歌曲伴奏の準備について、少しだけお話したいと思います。

【運指の検討 ― 余裕をもってバスの音を出すために】

譜例1をご覧いただければお分かりかと思いますが、一拍目に配されたバス音、これがこの曲の中で非常に重要な役割を担っております。歌手の方とタイミングを合わせるうえでもとても大切な一拍目ですが、実はここでちょっと問題が。楽譜に記載されたように左手で下段に示された連打和音を弾いてしまうと、いきおい一拍目のバス音からの跳躍を余儀なくされしまうのです。非常にテンポの速い曲であるのに、ここで左手の跳躍をこなさなければならないとなると、技術的ハードルが非常に高くなるわけです。

このような場合どうするのかな、ということで、歌曲伴奏分野に大変造詣が深い方に思い切って相談してみることにしました。こういうとき独断は慎むべきだ、と思ったからです。すると、その方から、「これは一つの意見だが」という前置きの後、こんなコメントをいただきました。

左手の跳躍によるリスクを最小限にする運指を検討することが重要で、下段に書かれた和音の構成音のうち、右手で弾けるものは可能な限り右手で弾くようにすべきであると考える。バス音は一拍目に配されていることが多く、かつ歌手とタイミングを合わせるための重要な音でもある。跳躍するとなると、テンポと音色のコントロールが格段に難しくなってしまう。左手の和音の構成音を減らすことで、よりたやすく、かつ音楽的に演奏できるのではないだろうか。

このコメント、私にとっては、まさに「目から鱗」でした。やはり、何事も専門家のご意見をうかがってみるものですね。伴奏の場合、自分が弾くことで精いっぱいになっているようでは、求められる役割を十分果たすことはできません。音楽全体のバランスはどんな感じだろうか、相手の音楽はどんな表現になっているのだろうか、どのように息を合わせていくべきだろうか ― 常に全身を耳にして、相手の音を聴きながら演奏するわけですから、よりたやすく弾ける方法があるなら、進んでその方法を選択すべきなのだろうと私も思います。たかが運指、されど運指…なかなか深い話ですね。

【アクセントはあるけれど】

譜例2は、この曲の最後の歌詞の部分です。この最後の言葉 dein! (「君のもの」 ― ここでは歌い手自身を指すので実質は「僕のもの」という意味)こそは、この曲の中で最も重要な語です。歌手の方が感極まって発するこの部分、ピアノももちろん昂揚していますから、楽譜にもアクセントが書き込まれています。でも、だからといって、勢いに任せてアクセントを思いっきりつけてしまうと、実は歌詞が聞こえにくくなってしまうのです。この楽譜は高声用のものですが、それでもこの最後の音は決して高い音域ではないわけですから。

私は、思わず「でも控めに(でもアクセント)」とメモしてしまいました。この一音こそ、伴奏者の技量が問われる部分ですね。シューマン歌曲の特徴でもある、魅力的なピアノの後奏部分は、まさに伴奏者の聞かせどころと言っても過言ではありません。ここでは、歌手の感情の高まりを受けて呼応するようにピアノも疾走するわけですが、そのまさにキーとなる音だからこそ、アクセントがつけられているのです。それゆえに、最も重要な歌詞を殺さず、むしろ最大限に効果的な表現を模索しなければなりません。