<スタジオの楽器です 実はサイン入りです>
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暗譜が飛ぶ恐怖、音楽家あるあるの話ですよね。

でも、どうして暗譜が飛ぶのでしょう?そのメカニズムが理解できれば、もっと対応策がはっきりしてくるはずよね。そういう問題意識もあって、この夏、京都市立芸術大学(←今まさにニュースの渦中にありますが…)における音楽生理学(担当講師:古屋晋一氏)の講義に出かけてまいりました。

で、見つかりましたよ、答えが!少なくとも、あのとき暗譜が飛んだ理由が明確に見えた気がしました。「あのとき」と申し上げているのは、暗譜の飛ぶ理由が一つとは限らないと思うからです。

ということで、少しだけ気づきをアウトプットしておこうと思います。

暗譜には、記憶させるプロセス(記銘)と記憶を取り出すプロセス(想起)がありますが、今回の私の気づきは、後者のプロセスについてです。ちなみに、前者が不十分で暗譜が飛んでしまうケースもかなり多そうですが、今回そこは割愛します。

その事件とは…。過去から何度もコンサートでとりあげ、最近では3月にも何度か演奏機会があった曲について、7月はじめにほとんど弾かないまま本番演奏機会を持ってしまったときに、一瞬暗譜が飛んでしまったのでした。本当に何度も何度も弾いてきた最も得意な曲の一つで、正直この曲であればいつでもレパートリーに入れられると思っていました。まさか、この曲で暗譜が飛ぶなんて信じられない…。

しかも、私の場合、本番で緊張はするものの、どちらかといえば「心臓バクバク」タイプではありません。かつ、演奏技術の稚拙さはありますが、エラー時のリカバリー力はそこそこ高い方だと思っています。ですから、ミスタッチはしても、音楽を止めることはあまりないのです。それだけに、この暗譜飛び事件にはかなりショックを受けました。そして、もっとショックだったのは、暗譜が飛ぶまでは極めて落ち着いてまともに弾いていたにもかかわらず、突如暗譜が飛んでしまった原因が自分でも掴めなかったことでした。

でも、これには、れっきとした原因があったのです。それは…。

⇒ しばらく寝かしておいた曲を久々に取り出すことに伴って一時的に記憶が不安定になったため

実は、皆さまもご経験がおありでしょうが、一般的には「しばらく寝かせておいた曲を再び仕上げると比較的上手く行く」ことが多いのです。私もこのことは経験的に知っておりました。多くのピアニストの方たちが、リサイタルのプログラムを組めるだけのレパートリーを保持するために、この方法を使っています。でも、実は、これには一つだけ落とし穴があったのです。それは、「記憶取り出す(想起する)過程で、一時期記憶が不安定になる」という脳の特性の存在。私はここを理解していなかったのですね。

実際には、固定化された記憶は思い出すと(想起すると)一旦不安定になり、その後「再固定化」という過程を通して再度安定的に脳内に定着する、ということらしいです。ということは、一時的な記憶の不安定さを乗り越えると、今度は記憶が再強化されますので、上述の通り「しばらく寝かせておいた曲を再び仕上げると比較的上手く行く」という経験知こそ、人間の記憶のメカニズムにそった極めて合理的な方法であったことがわかります。

ここで重要なのは、「寝かせておいた曲」を取り出す過程で起こる「一時的な記憶の不安定さ」を乗り越えるプロセス=「再固定化」が必要だった、ということなのです。ということは、「再固定化」のスケジューリングが重要だったということですね。そこが抜けていたために、暗譜が飛んでしまった、といえそうです。どういうスケジュールで演奏会の準備を行うか、どのプロセスにどれだけの期間が必要なのか、そのあたりを十分考える必要があるようです。

なお、暗譜が出来ているというのは、「万全の読譜のもとに、どんな場所のどんな楽器を弾いても崩れない状態」をいうのだそうです。どんな楽器を弾いても崩れないための準備、それはいろいろあると思いますが、こと「記憶」という切り口で考える場合、記憶の分類(短期記憶・長期記憶)と記憶の三過程(記銘・保持・想起)を理解し、その仕組みに合わせて対策するのが有効だと言えるでしょう。これらについては、また改めて実例とともにお話できれば、と思っています。