誰しも、大切な本番のときには「演奏に集中したい」と心から願っていることでしょう。ところが、実際には、心の底から本当にそう願っているにもかかわらず、「集中力を欠いた」結果に終わることも多いのではないでしょうか。それに、ひとくちに「集中する」と言うは易しいことですが、「集中しろ」と言われて集中できるようであれば、誰も苦労はしないわけでして。
かく申す私なども、演奏中の「雑念」の多いこと多いこと。この「雑念」に何度「やられた(!)」ことでしょう。「あ、しまった、今のバレた?」とか、「あ、すっぽ抜けちゃった…」といった演奏に関する雑念もありますが、ときには「客席のおじさま、よくお休みのようですね、ここまで聞こえていますよ~」とか、「あのぉー、スーパーか何かのビニール袋、クチャクチャ音をたてるの、やめていただけないものかな~」とか、はたまた「お腹すいてきた…終わったら何か食べたい…あ、はずしちゃったわ」とか…。いったい何考えているのでしょうね、全く。大切な本番のはずが、これですから嫌になりますね。
ということで、本日のお題は、演奏中の「雑念」について。ご笑覧いただければ幸いです。
さて、ここらでちょっと実例を見てみましょう。ある先生の門下の方たち(ほとんどが音大OBか現役音大生)の発表会のときの「楽屋でのおしゃべり」の中から、こんな興味深い発言を拾ってみました。いずれもかなり昔の話ですから、ここで披露しても時効だろう、ということでご容赦下さい。
<発言者A>
演奏中に演奏のこと考えたら、かえって緊張してドキドキしてしまうから、わざと他のこと考えた方がまだマシな気がする。普段でも、ほかのこと考えながら弾いているときとか、手が勝手に演奏してくれるでしょ、あんな感じかな。
<発言者B>
比較的冷静な状態で弾き続けてきて、「よし今までは上手く弾けている、この先の高音部を美しく決めなければ」などと思っていると、いつも失敗しないようなところで事故を起こしてしまったりする。痛恨よね。
いかがでしょう?「あっそうかも!そうそう!」と共感できるところがあるような気がするのは私だけでしょうか。さすがに、私の場合、発言者Aの方のようにわざと他のことを考えようとまでは思いませんが、冒頭にも申しましたように、全く演奏と異なることを考えながら、手が勝手に動いている状況に陥っていることは結構多いです。発言者Bの方に至っては、全く「同感」だと思ってしまいます。ですが、どうでしょうね。いずれのケースも、「望ましい意味での集中力が保たれた状態」ではないような気がしませんか。どちらも、いわゆる「雑念」がある状態であることには変わりないように感じます。
では、Aのケースから見ていきましょう。この発言で「なるほど」と思わせる要素があるとすれば、「緊張してドキドキしてしまう」状況を回避するために、ある程度「リラックス」した状態を作りだそうとしていることではないか、と思います。ただ、残念なのは、「リラックス」した状態を作り出すために、意識が「音楽」とは違うものに向けられようとしていること。これでは、最高のパフォーマンスから遠ざかる可能性が高くなるのではないかと思います。先の私の「お腹すいてきた…」事例のように、注意力も散漫になりがちでしょうし、結果ミスタッチしてしまう、というようなことも起こりやすくなるかもしれません。
次に、Bのケースではどうでしょうか。少なくとも、かなり冷静に音楽と向き合っている点では、Aのケースよりはずっと音楽に集中しているようにも見えます。もっとも、「内なる自分の声」がクセモノですね。というのも、自分の音楽について「結果を判断」していたり、これからの先の演奏について「意図的にコントロールしよう」としていたりしますから、厳密には、意識が現在の演奏そのものではなく、「少し前の過去」や「これから起こる未来」に向けられているのです。少なくとも既に終わってしまった演奏部分に対する「判断」など、「雑念」以外の何ものでもないと言えるでしょう。
さて、ここまで書き進めてきたところで、はたと思ったのですが、「雑念」がある状態についてはまだ比較的イメージしやすいし、理解しやすい。それに対して、「望ましい集中力が発揮されている」状態とはどのような状態なのだろう、ということについて明確にイメージできているか、と問われれば、自分でもあまり分かっていないことに気がつきます。上の二つの発言例から、あえて何か教訓めいたものを抽出するとすれば、「リラックス」していること、そして「過去や未来ではなく現在」に意識を向けることではないかと、直感的には思うわけですが、しかし、もう少し奥深い問題であるような気もします。かつ、「望ましい集中力がある」状態を「知識として頭で理解する」ことと、舞台上で「実践できる」こととの間には、これまた大きな隔たりがありそうです。そもそも「望ましい集中力が発揮されればパフォーマンスの質が向上するのか」といったあたりも、考え出すと訳が分からなくなります。でも、これはなかなか面白そうなテーマであり、一考に値すると思います。
最後に少しだけ。残念ながら、私自身は心理学の専門家ではありません。とはいえ、音楽家の皆さまの「お悩み」に寄り添いながら、少しでも何かお役に立てるお手伝いをしたいと思っている新米スタジオ・オーナーとしては、こういう分野についての関心を持ってみてもいいのではないか、と日々感じている次第です。ここにご紹介したのは、私が実際に見聞きした一種の「経験則」であり、科学的に検証されたものではありません。思い違いや認識違い等ありましたら、是非ご指摘いただきたいと思います。また、何か知見をお持ちの方は、どうぞご教示下さい。それから、音楽家の皆さまの生のお声を頂戴できれば、大変参考になります。忌憚なきご感想等お気軽にお寄せ下さいませ。