<奏者と聴衆の距離が近いスタジオ>
<奏者と聴衆の距離が近いスタジオ>

手足が震え、うっすら冷や汗が出て、手首や腕がこわばって思うように動かない ― ピアノ弾きなら一度は経験しそうな「極度の緊張」。これに襲われると本当に不安が増幅しますし、恐怖すら感じることがありますね。この場から一刻も早く逃げ出したくなるような居心地の悪さもあり、これは本当に嫌な感覚です。

いかがでしょう?これをお読みの方々も、ひょっとしたらこんな「過度の緊張」の経験がおありかもしれません。音楽大学の入学試験や卒業試験のときでしょうか?あるいは、コンクールのときでしたか?(←私自身は経験ありませんが、想像するだけで緊張しそうです!)

そこへ行くと、私の場合、そこまでの状態になることは滅多にありませんが(前回申しました通り、演奏中に「お腹すいた…」とか思ってしまうお気楽者ですからね)、過去にこういうことが皆無だったわけではありません。年に何回かは人前で弾くこともあるのですが、同じ曲を弾いているのに、妙に緊張してしまって玉砕してしまう場合と、案外リラックスして弾ける場合があったりしますから本当に不思議ですね。

ちなみに、私が最も緊張するのは、某先生が主催される研究会のとき。これは、音楽関係者や現役バリバリのピアニスト・音楽教師(大学教授等)が居並ぶなかでの演奏機会です。しかも、恐ろしいことに、客席の聴衆が演奏についてのコメントをメモに書いて演奏後の奏者に渡すという、恐るべき相互批評システムまで導入されているのです。最初に参加したときは、文字通り「震え上がって」しまいました。周りの目も恐ろしいし、参加者のレベルもとてつもなく高い、場違い感もいいところ、二度とこんな思いはしたくない…。そう思いながらも、次回もまた参加予定だったりするのですね。あ、一か月切ってるし~。準備できてない ― まずい…。

あるいは、意外かもしれませんが、私の場合、レッスンのとき、それも弾き始め10分ほどは、大抵緊張してしまって、最悪の弾き方をしてしまいます。何度も経験しているはずなのに、なかなか克服できません。先日のレッスンのときも、顔から火が出るかと思うほど恥ずかしい弾き方となり、我ながら情けなくなってしまいました。もっとも、レッスンのときは、その後いろいろいただく指摘事項に対応しようとしているうちに、案外落ち着いてくるような気がします。もっとも、言われたことをすぐに反映できない歯痒さに、またヤキモキしてしまう、という別種の問題が生じてくるのですが。いずれにしても、どうもいけません。

さて、今日は「極度の緊張」について考えてみようと思うのですが、おそらく一つには「失敗したくない」という意識が持ち上がってしまうことが原因かな、と思います。そもそも人間には、本源的に承認欲求がありますから、演奏を通じて「認めてもらいたい」と思うものでしょう。このあたりがいろいろと悪さを仕掛けてくるのでしょうか。

それから、自分の演奏をどういう人が今聞いているのか、という要素も結構大きいのではないでしょうか。多分、同じ曲を人前で弾くにしても、見知らぬ不特定多数の聴衆の前で弾く場合と、コンクールの審査員の前で弾く場合、あるいは同門の高弟たちの前で弾く場合とでは、おのずから奏者の緊張度合は変わってくるような気がします。以前、とある懇親会場で、一度だけ念願の(!)生演奏BGMを披露したことがありますが、正直とても気楽でした。とにかく、音楽が止まらないように、聞いている人に不快感を与えないように、そこだけを気を付けていればいいのですから。

それにしても、「極度の緊張」、これは間違いなくパフォーマンスを最悪のものにします。さりとて「緊張感皆無」というのもこれまた問題ですから、上手に「緊張感」とつきあいたいものだと思うわけですが、この「緊張感」をめぐる以下の言説について、最近私は「確かにそういう面があるのは認めるけれども、それだけではないはずだ」と感じることがあるのです。ということで、その「気になる言説」を列挙してみたいと思います。

  • とにかく練習がものを言う。しっかり練習すれば、それほど本番緊張することはない。
  • 往々にして呼吸が浅くなっているから、深呼吸すること。
  • 何といっても場慣れが必要。
  • 合谷のツボがきく。

確かに、練習不足の状態で本番を迎えると、間違いなく緊張します。しかし、上に言及した通り、練習状態が同じであっても、場面によって緊張する度合いが変わってくる以上、どんなに練習したとしても、そのことをもって「極度の緊張」から完全に逃れることはできないのではないか、とも思います。もちろん、練習量が増加すれば、それだけ自信がついてくるでしょうから、「極度の緊張」を減じる効果はあると思いますが。

「呼吸」については、確かにその通りだろうと思うのですが、やり方を間違うと過呼吸を誘発するような気がします。もちろん、本番だけではなく準備段階からどういう呼吸でのぞむのか、ということをシミュレーションすることも必須ですね。吐く息と吸う息をどう整えるのか、そのあたりも見極めていく必要がありそうです。案外、緊張しているときには、息を吸い過ぎている可能性も高いのではないか、というのが最近の私の観察結果です。

次に、「場慣れ」について。もちろんこれには一定の効果があると思います。私どもの「レイトタイム練習会」なども、「場慣れのための機会提供」を意図したものです。もっとも、これにも個人差があるような気がいたします。「場慣れ」のはずが、かえって「トラウマ」になってしまうようなことだって起こり得るわけですからね。「場慣れ」と称して漫然と回数をこなすだけでは、あまり効果はないかもしれません。重要なのは、科学的で効果的なイメージトレーニングを積み重ねる方法による「場慣れ」機会の蓄積ではないでしょうか。

それから、何かと効能があるとされる「合谷のツボ」。極度に緊張しているときに、意識をツボ押しにそらすこと自体は、案外応急処置として有効ではないかと思いますね。ただし、絶対に「合谷」なのかしら…「神門」ではどう…?それはさておき、私も舞台袖で一度この「合谷のツボ押し」にトライしたことがあるのですが、「過度な緊張」こそしなかったものの、演奏中生じたいわゆる「雑念」(←前回の話題ですが)によって、結局演奏自体は不本意なものに終わりました。残念。

とりとめもなく、「極度の緊張」について思うところを書いてみましたが、どうももう少し体系だった科学的かつ実践的なアプローチができるのではないかと思います。先日述べた「雑念」にしてもそうですが、これまでややもすれば「メンタルが弱い」という言葉で片づけられがちだったのではないかなと感じますね。「雑念」・「極度の緊張」 ― パフォーマンスの質を下げるであろう阻害要因について、単なる根性論で考える時代はもう終わっているはずではないかな、という気がしてなりません。