緊張すると、どうしても心拍数は上がり、身体に力が入りやすくなります。楽器を演奏する方なら、誰しも一度は経験したことがあるでしょう。あれは、本当に逃げ出したくなるほど嫌な感覚ですよね。しかも、力むとコントロールが上手くいかず、パフォーマンスも不本意なものになりがちです。
本番前の緊張、これは初学者に限らず、功成り名遂げた名人レベルの方でも、舞台袖ではブルブル震えていることがあるのだそうです。事実、舞台袖のアーティストさんの姿を沢山ご覧になっている調律師さんの話では…。
「始まる前ね、ほんと、沈黙が恐ろしいのか、どーでもいい冗談ばっかり言って、気を紛らわせている人とか…」
「黙りこくって、しかも、喉が渇くとか言って、焦って水ばかり飲む人とか…」
「手が冷えて動かない~と、カイロをせわしなく揉んでみたり…」
そう、誰しも、程度の差こそあれ、非日常の舞台を前にして緊張するのが普通です。
ところが、いざ本番が始まると、実際には、いわゆるゾーンやフローと呼ばれる状態になって、聴衆に圧倒的な感動を与えるパフォーマンスをされる方もいらっしゃるかと思えば、もう拝見するのも気の毒なほどに緊張に飲まれてしまう方もいらっしゃいます。これ、不思議だと思いませんか。どうせなら、前者のタイプを目指したいところですが、残念なことに後者のタイプの方も決して少なくはなさそうです。
さてさて。私は、ご承知の通り「緊張に飲み込まれてしまって、思ったように弾けない」という方々のお話をうかがう機会がありすので、いろいろと気づくことも多いのですが、今日は、特定の個人の話ではなく、あくまでも一般的な例を、少しご紹介したいと思います。例えば、過緊張される方の中には、このような発言をされる方とても多いですね。
「私、緊張してしまうと、自分が出せなくなるのです。緊張してしまうと、思った通り弾けないし、やりたい表現ができないのです!」
そうなのだろうと思います。そう、おっしゃっているその言葉、嘘でもなんでもないと思います。それはそのまま、一旦は受容することに決めています。共感と受容こそが、私のレッスンの基本方針です。なお、私が行っている個別レッスンの現場では、こういう発言があった場合、もう少しいろいろと確認の質問をしたり、ときには目先の角度も変えたりして、より問題を深堀りしていきます。ですが、今日はそのあたりのプロセスは割愛いたしまして、もう少し話を先に進めていきましょう。
個人差もありますし、全員が全員同じとは申しませんが、上述の発言をされる方の多くは、その後お話をうかがっていくにしたがって、例えば次のようなことが分かってきます。
- 自分で自分のことを「緊張すると自分が出せない」と決めつけてしまっている
- それどころか、あえて自分で「緊張すると自分が出せない」ような状態を選んでいる
- 「緊張している自分」の状態に逃げてしまっている
- もっと端的にいうと、「自分が上手く弾けないのは緊張のせい」にしてしまっている
- 意識が「緊張している自分」にばかり向かっている
- だから演奏に意識が向いていないし、自分の音を聞いていない
- 自分で自分の演奏に対する客観的評価が下しにくい
そう、このままでは、絶対に満足な演奏ができるはずがないのですね。まず事態の好転は無理でしょうね。そのスキーマを変えない限り、どんなに練習時間を増やしても、本番で素晴らしい演奏は期待できないでしょう。
あらら…。それちょっと酷な言い方じゃありませんか。
でも、残念ながら「緊張している自分」という大きな鎧を着て、「緊張しているという状態」を盾にして逃げ隠れてしまっていることに気がつかないうちは、実は問題解決はどうしたって無理なのです。ですから、全ての問題解決は、まずは「緊張している自分に逃げてしまっていることに気づくこと」から始まります。
では、どう対処すればよいのよ、と言いたくなりますね。はい、ケース・バイ・ケースですので詳述はいたしませんが、この場合の大きな方向性としては、「メタ認知を向上させ、健全な自尊感情を養う」訓練を行います。もう少し分かりやすい言葉で説明いたしますと、「自分をあたかも外から眺めているかのように客観的に観察していく力を上げ、自分のことをあるがままに受け入れた演奏態度へと変えていく」ということです。
誤解しないでいただきたいのですが、これは「レンジでチン」の即席レベルですぐに対応できる話ではありません。即効性を期待される方も結構多そうですが、年齢とほぼ同じ長さの時間をかけてつけてしまった自分の考え方の癖なのです。それに、「大きな鎧」をかぶりたくなるほどに、傷つきたくないと思っている繊細な心が引き起こす問題なのです。そうまでして「大きな鎧」をかぶりたくなるには、その方なりの「複雑かつ話せば長い事情」というものが存在するはずです。ですから、じっくり丁寧に、時間をかけて対応する必要がある、と私は考えております。
なお、最後に自尊感情について、少しだけ言及しておきましょう。
実は、過緊張に悩む方の中には、健全な自尊感情を持ちにくい方が結構多いように見受けられます。中には、自分に対して極度にダメ出しをされてしまう方も。「私、こんなことでは、ダメよ!」と、自分にビシバシ鞭を打ち続けてしまうのです。謙虚であることが美徳とされる日本では、そういう方、本当に多いのではないでしょうか。
ところが、皮肉なことに、そういう方に限って、実は自分を客観視することが難しかったりするのですね。その理由は、自分を客観視しようと思うと、「どんな自分であっても、それは自分であって、私は私を見捨てず、あるがままに受け入れる」ことが不可欠なのですが、そういう確固とした自尊感情の土台がない場合、心は本能的に傷つくことを避けようとしますから、結果として自分で自分のことが直視できなくなってしまうのです。
ええっ!それって悲しくないですか? ― つまり、人一番自分に厳しくダメ出しし続けている謙虚な方なのに、その謙虚さは空回りするばかり、自分に対する適切な客観的評価ができないなんて…。意外に思われるかもしれませんが、自分に向けて厳しい言葉を浴びせることと、自分を客観視できるということとは、全く別物だったりするわけですよ。何だか、悲しくなってしまいますね。
だからこそ、私は、そういう方に少しでも楽になっていただいて、人と演奏を分かち合う楽しみを沢山味わっていただきたいと心から願っております。過緊張にお悩みの方、お気軽にご一報くださいませ。