スタジオでのお二人
スタジオでのお二人

来日中のアメリカの若手ピアニスト 土肥絵里香 & DANIEL ANASTASIO の日本初公演を聞きに行ってまいりました。心配された台風も未明のうちに通過したようで、滞りなく演奏会開催の運びとなって本当に良かったと思います。

既に私どもの Facebook Page でもご紹介しておりましたが、このお二方、先般私どものスタジオにもお寄りいただきましたので、私としても今日の本番が他人事には思えなかったのですね。しかも、私個人としてはなかなか面白いプログラムだったので、大いに期待して出かけたのでありました。ただし、普段ピアノ音楽にあまり接していない人向きのプログラムであったかどうかと問われると、正直それはかなり違うかも…。それはともかく、期待に違わず、どころか、期待以上にすばらしい彼らの演奏に接して、私自身も大変触発されましたので、少しだけ思うところを綴ってみたいと思います。

リサイタルの詳細はこちらです。

→ http://www.barocksaal.com/concert_schedule/concert20180729.html


【いきなりシューベルト談義】

彼らは、スタジオに到着するや否や、早々に(!)私の楽譜についてチェックを入れていた(!)のです。このあたり、やはりピアノ弾きのピアノ弾きたる所以ですね。スタジオには、ウィーン原典版のシューベルトのソナタ集( D 850 以降のソナタが収録されたもの)とヘンレ版の四手のピアノのための幻想曲(D 940)を置いていたものですから、すぐさまシューベルト談義が始まりました。今回の演奏会のプログラムの前半にも、シューベルトの最後のソナタ( D 960 )が入っておりましたから、当然といえば当然の成り行き。「これも死の直前の作品ですよね」から始まり、「シューベルトの最後の年はやはり奇蹟的だ」という話題 ― あれれ…この話この前もいたしましたね…確か ― で盛り上がりました。「シューベルトの最後の年といえば、3つのピアノ曲( D 946 )なんかもあるよね」と言うなり、その第1曲目をすぐさま弾き出す Daniel のノリは、典型的な「ピアノ大好き人間」そのもの。こういう「ピアノ狂い」は、洋の東西を問わないもののようで、あっという間に仲間トークになりますね。私が「今 D 894 を練習中」と告げると、「じゃ弾いてみて」と促されてしまい、あろうことか彼らの前でちょっとだけ幻想ソナタを弾いてみたり…。まるで弾き合い会のようでもありました。

スタジオのピアノでシューベルトの最後のソナタを披露
スタジオのピアノでシューベルトの最後のソナタを披露する土肥絵里香さん

【シューベルトの最後のソナタ】

事前にうかがっていたところによると、絵里香さんはコンテンポラリーがお得意、一方 Daniel はクラシックがお得意ということでしたので、当初チラシを拝見したとき、てっきり D 960 は Daniel が弾くのだろうと予想しておりました。ところが、実際には、絵里香さんがシューベルト(それも最後のソナタ!)を弾かれるというではありませんか。「これは…」と思って先日確認したところ、絵里香さん曰く「最近あらためてクラシックに目覚めた」ということなのだそうです。さらに、今日のリサイタルのときにも、「卒業リサイタルのときにも弾いた曲」とコメントされていましたから、これはなかなか興味深い話だと感じました。

数あるシューベルト作品の中でも大曲中の大曲、とても31歳の若者が書いたとは思えないほどの深遠な世界、穏やかさの中にふと現れる遠い雷鳴のような響き、そして、二度と再会することのない別れでありながらも、軽やかに走り去っていく終曲…。私などはこの曲を弾きたいとずっと願いつつも(譜読みも時々していますが)、あまりにも大きすぎるその作品世界を前にして、なかなかレッスンに出す勇気を持てずにいるのですが、絵里香さんは「あらためてクラッシックに向かいたい」という並々ならぬ決意をもって、臆することなくこの大曲に真正面から果敢に挑戦されていたわけで、今回その真摯な姿勢に感銘を覚えたのでした。

今日の演奏を拝聴したところでは、しっかりと(おそらくかなり長い間かけて)この曲に向き合ってきた様子がひしひしと伝わってまいりました。何度となく聴く機会がある曲だからこそ(早い話5月もこの曲を聴いていますし)、私自身も弾きたいと思って譜面を見ている曲だからこそ、どれだけ彼女が真剣にこの曲に取り組んできたのか、ということが分かるのです。だからなのでしょう、ひたむきに曲に向かう清々しさのようなものを存分に味わうことができました。

【高い教育水準】

絵里香さんが、シューベルトの最後のソナタを弾くためにどれだけの研鑽を積んで来られたか、という話に関連して思うのは、このお二方がこれまで受けて来られたであろう教育水準の高さですね。寡聞ゆえ海外の音楽教育事情については、詳しく知る由もないのですが、少なくともこのお二人の演奏から垣間見えるのは、研ぎ澄まされたフィンガー・コントロールに裏打ちされた音楽的表現力の高さで、これはきっとすばらしい教育を受けて来られたゆえなのだろうと感じました。この若さでこれだけ高い音楽的基礎力を備えているとは本当に驚きです。いやはや、世界には、こういう才能豊かな若者が存在するのですね。

【圧巻のスカルボ】

「夜のガスパール」の「スカルボ」こそは、「耳にたこ」ができるほどよく聴く曲であり、それこそ「腕に覚えのある」ピアニストたちのいろいろな演奏に接してきた私ですが、 Daniel の今日の「スカルボ」は、今まで聴いた数々の演奏の中でも最も印象に残るものの一つと言っても過言ではありません。卓越したタッチ・コントロールに支えられた「自在で色彩豊かな表現力」と「圧倒的なストーリー性」が秀逸でした。これだけの水準の「スカルボ」には、そうそうお目にかかれないと思いましたね。終演後、 Daniel を前にして真っ先に口をついて出てきた言葉が Fantastic! でしたが、まさにこの一語に尽きる名演でした。

スカルボの妙技を披露するダニエル
スカルボの妙技を披露する Daniel