ベーゼンドルファー(インペリアル)
<ベーゼンドルファー(インペリアル)>(著者撮影)

誰しも、一つや二つはコンプレックスというものを持っているのだろうと思いますが、私もそれこそ「山のように」コンプレックスを抱えて生きてきました。もうそれは数えきれないほど。自分でも「悩みのデパートメントストア」だと思っておりました。もっとも、40代に入ってから、すばらしい心理カウンセラーの先生にめぐり会ったこともあって、生きるのが少しずつ楽になってきたような気がします。本当に、この先生には足を向けて寝られないです。これらの話も、機会があればご紹介したいところですが…。

今回お話するのは、そんな「生きるか死ぬか」というレベルの深刻な悩みではありませんが、少なくとも20年以上(!)私を苛み続けてきた「ピアノにまつわるコンプレックス」 ― 「音色コンプレックス」 ― の話です。おつきあい下さい。

私には、6歳年下の妹がおります。小さいときは私同様ピアノを弾いていたのですが、どう見ても姉の私よりも才能に溢れておりました。私が半年かかったバイエル教則本もわずか4ヶ月程度で終了しましたし、幼稚園児でありながら、私が弾いていたバッハの平均律第一巻第一番の有名なハ長調プレリュードに合わせて、横で即座に和音伴奏をつけてしまうことができる、という天才ぶりでした(グノーさんと同じノリ!)。ところが、私が偉そうにうるさくあれやこれやと口出ししたことがいけなかったのでしょう、妹はどんどんピアノが嫌いになっていった模様で、大人になってからは一切弾かなくなってしまいました。こればかりは私が悪かった、と今でも心が痛みます。

実は、この妹、身内で自慢するのもやや気がひけるのですが、何が凄かったかといえば、その澄んだ音色だったのです。なんというのでしょう、キラキラとした水晶のような音と申しますか。とにかく、透明感のあるきれいな音の持ち主でした。6歳の年の差がありますから、もちろん私の方が達者に弾けて当たり前なのですが、私の中でこの「キラキラ感のある音がどうしても出せない」ということが、次第にコンプレックスになっていったのです。あれ、私の方が音濁っている?どうして私にはその音が出せないの?

その後、京都教育大附属高校合唱部(指揮者になられた阪哲朗さんと一緒でした)→東大ピアノの会、という「自称ピアノ巧者」揃いの集団に身を置くようになって、益々この「音色コンプレックス」の悩みは深くなっていきました。さらに、大学生になると、「音色コンプレックス」だけでなく、「音量コンプレックス」も加わるようになり、「何をやっても二流だなぁ、私は」という思いばかりが募る日々が続きました。今なら「十九か二十歳そこそこの、体力あまり過ぎの男子校出身者たちがかき鳴らす、ワレガネのような音量に対抗しようという方が愚かだったわ」と思えますけれどね(笑)。何しろ、高校文化祭の重いピアノ鍵盤をものともしなかったN高出身者の「腕っぷし(!)演奏」に日々さらされていたわけですからね。でも、当時の私は、どうして彼らはああいう風にたっぷり華やかな音が出せるのかなあ、と驚嘆しつつ、悶々とした日々を送っておりました。

N高で思い出しましたが、出身高校によって、やはりカラーというものがあるように思いますね。お叱り覚悟(今どきの表現ですと「炎上覚悟」でしょうか)で申しますと、あくまでも「腕っぷし」路線のN高、芸術家肌・天才肌のM高(M高出身で若くして亡くなられた同期の桜M君は本当に天才だったなぁ…今でもその演奏を思い出します)、和洋の芸達者R高…というのが、私の「独断と偏見フィルター」を通した印象でしょうか。

さて、そんな悩める私にとって、転機となったのは、2度にわたるベーゼンドルファーとの出会いでした。ベーゼンドルファーとの出会いがなかったら、私は絶望してピアノをやめていたかもしれないですね。特に、最初のベーゼンドルファーとの出会いについては、これはもう私にとっては特別な事件でしたので、稿を改めてご紹介するとして、今回は「コンプレックスの周りに個性がある」と気づかされた2度目のベーゼンドルファーとの出会いについてお話したいと思います。

もうかなり昔、まだ20台の後半だったと記憶しているのですが、東京のとあるサロン風ホールで仲間内の演奏会を開いたことがありました。そのホールに置かれていたのは、おそらくベーゼンドルファーの225ではなかったかという気がするのですが、サイズの記憶は定かではありません。幹事の私は、早めに会場入りして、演奏会前の調律に立ち会っておりました。

一通りの作業が終わったところで、調律師の方から「ちょっと弾いてみて下さい、客席でいろいろ確認しますから」と促されるままに、フランクの「前奏曲、コラールとフーガ」を弾き始めたところ…。急に、調律師の方が立ち上がられて、ややびっくりしたような口ぶりでこんな質問をされたのでした。

調律師:お家でどういうピアノ弾いているの?
私  :え、レーニッシュという旧東ドイツのピアノですが。
調律師:どうりでね。ヨーロッパのピアノを弾いている人だとすぐに分かったよ。
私  :え、そんなことお分かりになるのですか?
調律師:当たり前だよ。沢山のピアニストを見て来たからね。君は実にいい音を出すなぁ。
私  :え、そんなことないですよ…。
調律師:君は実にいい音の持ち主だ。いや~柔らかくて本当にいい音だ。
私  :え、そんな…。
調律師:音の聞き方が違うんだよ。
私  :そうなんですか?
調律師:そう、楽器から立ち上がる響きを聞くんだよ。自然と身についたんだね。
私  :そうなんですか…。そんなこと思ってもみませんでした。
調律師:そういう聞き方ができると、いい音が出せるんだよ。

長年音色コンプレックスに悩まされてきた私にとって、この調律師さんのコメントに正直びっくり仰天、しばし言葉を失いました。何度も何度も「いい音出すなぁ」と繰り返される調律師さんのコメント、俄かには信じがたかったのです。でも、プロのピアニストでも音楽関係者でもなかった私に対して、調律師さんとして積極的にお世辞を言わなければならない理由は一つもありません。お名前は失念しましたが、長年ベーゼンドルファーの調律をされてきたベテランの調律師の方とお見受けしましたから、多くのピアニストを見て来られたうえでおっしゃっているのでしょう。ということは、私も、この言葉を文字通り受け取ってもいいのかも…。

ああそうか…。
私には出せない音もあるかわりに、出せる音もある、ということなのか…。
ならば、自分の出せる音を伸ばしていけばいいじゃない…。

「音色コンプレックス」が「個性発見」に変化していった瞬間でした。