<ベーゼンドルファー>(著者撮影)
<ベーゼンドルファー>(著者撮影)

ふとした偶然が人生を変えていく、まさにそう実感する今日この頃です。しかも、この偶然は往々にして「意味ある偶然」となって、その後の人生に大きな影響を及していく、そういうものだと思うのです。私の40数年のピアノ人生において、「最も意味ある偶然」があったとすれば、それは紛れもなく「ベーゼンドルファーとの出会い」だったといえるでしょう。今日は、そんな思い出深い「偶然」の話。

東大ピアノの会では、大学4年生が終わる頃に「卒業演奏会」というものを自分達で企画して開催することになっております。最近の事情はよく分かりませんが、私達の頃は、卒業演奏会「だけ」が、「ちゃんとしたホールでちゃんとしたピアノ」を弾くことができる貴重な機会でした。そう、視聴覚教室のクタビレ気味のピアノとはエライ違い(!)。私達の学年の会場はルーテル市ヶ谷センターでしたが、演奏会当日のピアノとして、なんとスタインウェイとベーゼンドルファーが一台ずつ用意されていたのです。同期の中にピアノデュオの演目を出すメンバーがいたからですが、とにかく「ちゃんとした楽器」で演奏できるだけでもう嬉しいという感じでした。

とにかくこの卒業演奏会、在学中の演奏機会の中でも特別なものでしたから、皆選曲にも自然と力が入ります。大曲を披露される方も多かったですね。もっとも、私の場合、当時ドイツ歌曲の世界にどっぷり浸っておりましたから、ショパン・リスト・スクリャービンの類には興味もなく(今でもショパンを弾くことは滅多にありませんが)、リートの世界にもどこか通じるシューベルトの「幻想ソナタ」の1楽章ばかり弾いておりました。卒業演奏会なら時間制限もないはずだし(←長いですからね)、他の人達は重量級の曲を弾くに決まっているから、私の演奏時間中は客席の皆さまにぐっすりお休みいただこう、ということで、この幻想ソナタでエントリーしたのでした。

さて、「事件」は、スタインウェイによるリハーサル終了後に「突如として」発生しました。プログラム順で私のすぐ後にブラームスのソナタを弾くことになっていた某君が、「本番のピアノとしてベーゼンドルファーを使いたい」と言い出したのです。となると、会の運営上、直前の奏者である私も、ベーゼンドルファーでの本番の方が都合がいいだろうということになったのです。もちろん、幹事さんから意思確認の機会は与えられました。そのとき、私としては、何らこの話を断る理由はありませんでしたから、あっさり楽器変更に同意しました。シューベルトだし、リートの伴奏はベーゼンドルファーのことも多いし。それに、リハーサルのスタインウェイ、音色&音量コンプレックスに悩む私にはちと厳しかったしね。ま、いいんじゃないの…。

そう、以前の記事でも言及しましたが、大学生の頃、私は「音色コンプレックス」と「音量コンプレックス」に悩まされておりました。より正確にいうなら、学業もピアノも何もかもが中途半端、自分の能力に全く自信が持てない最悪の状態だったといってもいいでしょう。「どうして、私にはブリリアントな美しい音が出せないのだろう」と落ち込む毎日、全てに絶望していたのです。ですから、本番のピアノがスタインウェイであろうがベーゼンドルファーであろうが、どうせ大差はないだろう…。淡白というべきか、はたまた投げやりというべきか…。

そうして迎えた本番は、文字通り「ぶっつけ本番」だったわけですが、私は弾きながら今まで味わったことのない不思議な感覚に襲われました。全身に衝撃が走ったその瞬間のことを、今でも昨日のことのように思い出します。

あれ、音の返りが違う?
空間に沸き立つように放たれる柔らかい響き、どこまでも優しい音色。
え?私が弾いているのよね?
私でもこんな音が出せるの?

いつまでも離れがたいと思う気持ちが沸き起こり、長いはずの1楽章があっという間に終わってしまったのでした。弾き終わってからも、しばし忘我の境地をさまよっておりました。

その後も紆余曲折あって、それだけで本が一冊書けそうな感じですが、今思うに、この小さな「事件」がなかったら、多分私はピアノをやめていたことでしょう。今自宅にある一台目のグランドピアノにも、お世話になっている多くの方々、とりわけ今まさにお世話になっているお二人の先生にも出会わなかっただろうと思うのです。まさに、「意味ある偶然」が私の人生を変えていったのでした。