<スタジオのピアノ>
<スタジオのピアノ>

コンスタントにベストなパフォーマンスができる ― そうなれればどんなにすばらしいことだろう、と思っている方は多いのではないでしょうか。どんな舞台でも最善を尽くせるプレイヤーたること、これはプロの演奏家に特に強く求められる要素だろうと思います。もっとも、「いつでも最善を尽くす」と言うは易しいでしょうが、実際には、筆舌に尽くしがたいほどの鍛錬を重ねて、安定した高水準のパフォーマンスを実演できる状態を維持している演奏家も多いのではないか、と想像します。

近年は、プロの演奏家だけでなく、数々のコンクールに次々と出場して華々しく活躍するアマチュア演奏家も沢山存在する時代ですが、スタジオご利用のお客さまの中にも、数々のコンテスト機会を安定した出来映えで乗り切って優勝・入賞するまさしく「ツワモノ・コンテスタント」が何人かいらっしゃいますね。そういう方々のタフなメンタル・コントロール力には正直「脱帽」の一言です。

そこへ行くと、私なんぞは、これまで独断・偏見・妥協だけで生きてきた無責任な愛好家レベルですから、およそこういうメンタル・コントロール力は持ち合わせておりません。もっとも、最近では、ひょんなことから始めてしまったとはいえ、多少なりとも音楽に関わって対価をいただくことになった以上、音楽に対してもっと真摯に向き合わなければならない、という思いを強くしております。そして、音楽家の方たちが求めるものへの共感度・理解度を上げていくことが、今の私に与えられた課題ではないかと思っています。ですから、「安定した高水準のパフォーマンスはどうしたら生まれるのか」ということについては、何となく他人事とは思えないのです。

さて、以前の記事では「極度の緊張」について取りあげましたが、「極度な緊張」がベストなパフォーマンスを生むはずがないことぐらい、誰でも容易に想像できることではないかと思います。望ましいのは「適度に緊張し適度にリラックスした状態」 ― そんなことは分かりきっているのですが、そうは言ってもそれが簡単に出来るようなら誰も苦労はしないわけであります。

では、仮に「適度に緊張し適度にリラックスした状態」であったとしたら、必ず安定して「ピーク・パフォーマンス」となるのか? ― この問題設定はいかがでしょう? ― 今日は、このあたりを少しだけ考えてみたいと思います。

最近いろいろな場面に接して思うのは、「適度に緊張し適度にリラックスした状態」でなければ「ピーク・パフォーマンス」が生まれることはまず考えられないものの、人間の心や身体はもっと複雑に出来ていて、「ピーク・パフォーマンス」が生まれるには種々の条件が存在するのではないか、ということです。おそらく、かなりの条件が整わないと「ピーク・パフォーマンス」は実現されないのではないかなと思います。

興味深い事例を一つご紹介しましょう。とある来日ピアニストが全国ツアーを行ったときのエピソードです。某地方都市の公演と東京公演の両方に出かけた方が、後日私にこんな話をして下さいました。「確かに○○(地方都市)公演でも、ちゃんと弾けていたのよ。バリバリのテクニックだったし。でも何か物足りなかったなぁ。で、その後の東京公演は全く別物だったのよね。東京公演では、何というか本気度が違うというか、とにかく別人のようにすばらしかった。でも、それってあまりにあからさまな感じで、正直ガッカリだったわ」と。

この事例が示唆するところは、「その機会が演奏者にとってどういう位置づけだったのか」、即ち演奏者にとっての「機会の重要性」が本番のパフォーマンスに影響する、ということではないかと思います(あくまでも推察レベルですが)。やはり、自然と気合が入る本番機会とそうではない本番機会、という具合に、演奏者の心の中でちょっとした区別のようなものがあったりすると、それがパフォーマンスに影響するのかもしれません。もっとも、その機会の重要性が高まれば、それだけプレッシャーを感じる可能性も高まりますから、一概に「機会の重要度が高まればパフォーマンスの質が向上する」とは限らないと思います。例えば、オリンピック等でよく見られるように、ここ一番の大舞台で実力が発揮できない事例も世の中には多く存在します(人にもよるでしょうが…)。

実際には、演奏家も生身の人間ですしね。しかも、舞台もいわば生もの。聴衆の状況(客層や音楽への集中度等)も一回一回違うのですから、毎回常に「ピーク・パフォーマンス」を求めること自体、相当程度ハードルが高いのではないかなと思います。たとえプロの演奏家であったとしても、常に「ピーク・パフォーマンス」で「安定」させることは容易ではないでしょう。実際には、「ピーク・パフォーマンス」とまではいかないまでも、コンスタントに「ピークに近いそこそこのレベル」が確保できるように調整する方が現実解かもしれません。

とはいえ、どういう条件下において、「ピーク・パフォーマンス」を実行できたのか、ここを演奏家各人が棚卸ししておくことは重要でしょうし、どうすれば「ピーク・パフォーマンス」に近づきやすくなるのか、演奏家自らが理解しておくことによって、より高いレベルでのパフォーマンスの安定化が図れるのではないかな、と思ってみたりします。

そういえば、かなり大昔のことですが、ある舞台俳優さんのインタビュー番組におけるこんな発言を思い出しました。「好不調の波に左右されるようでは、それでは素人さんの学芸会になってしまう。プロの俳優は、どんなことがあろうとも、常にある一定レベルに達していなければならない。体調が悪かろうが、親が危篤だろうが、そこに振れ幅があってはいけない」 ― ピーク・パフォーマンス以上に安定性が重要 ― まさしく、そういうことなのでしょうか。その観点からすると、先に述べたピアニストさん、パフォーマンスに振れ幅があったのかもしれませんね。いやはや、演奏家の置かれる世界は本当に厳しいものです。