<私を救った名著>
<私を救った名著>

ご承知の通り、私は、音楽の分野で一味違うお仕事がしたいと思い、もう十年以上いろいろと自身の経験を通じて学んできた心理学を何らかの形で提供できないか、ということで、演奏者のメンタル・サポートを始めました。

でも、なぜこの私がそんなことを始めようと思ったのか、皆さま不思議に思っていらしゃるかもしれません。それもそのはずです。私の大学での専門分野は、日本近現代史でした。その後企業に就職し、主として企業法務・経営企画・知的財産・技術開発等の分野の仕事に従事してきました。確かに、ごく最近、京都市立芸術大学で音楽心理学の単位を(嬉しいことに満点で)取得しましたが、それにしたって不思議ですよね。心理学とどういう接点があるの?

私のことを昔から知って下さっている方々は、おそらく「ああ、あの話だな」と思い至るでしょうが、まだまだご存知ない方も多いかもしれませんね。ということで、今日は、意を決して「カミングアウト」することにいたします。

白状いたしましょう。かつて、私は、モラル・ハラスメントの被害者(という言葉を使いたくないですが便宜上一旦そう記述します)になったことがあり、軽度とはいえ、摂食障害を引き起こし、完全に心身のバランスが壊れてしまったことがあるのです。

それは、本当に本当に壮絶な体験でした。心とは、かくも短期間で、これほどまでに崩壊するものなのか…と。よく世の中で、「これはパワハラになるのか、セクハラになるのか、アウトなのかセーフなのか」といったような話がなされたりしますが、「アウトかセーフか」というような、そんな単純な話ではないのです。これは、おそらく経験した者でなければ実感できない、本当に凄まじい心の痛みを伴う話です。

その具体的な一部始終について、ここで語ることはいたしません。当時の関係者の方々に、それこそ誰一人ご迷惑がかかってはいけませんから。

ただ、私自身が、どのようなプロセスを経て心身の健康を取り戻したのか、その過程をお話することについては、おそらくこのブログをお読みになる皆さまにも、何かの参考になるのではないかと思っています。モラル・ハラスメントからの回復のプロセスこそ、とても悲しい経験ではありましたが、私にとって、人生最大の財産になっていると確信できるからです。

驚かれるかもしれませんが、本当にモラル・ハラスメントの当事者になってしまっているとき、その当事者は、当初それが「モラル・ハラスメント」であることに気づくことができないのです。加害者(この表現も好きではありませんが便宜上そう記述します)にも、おそらく一ミリも加害意識はないでしょうし、被害者の側も、自分が「モラル・ハラスメント」を受けていることに気がつきません。このことが、事態を急速に悪化させてしまいます。はい、私の場合も例外ではありませんでした。

そのからくりについては、その後私を救ってくれることになったマリー=フランス・イルゴイエンヌの名著『モラル・ハラスメント 人を傷つけずにはいられない』(※)に詳しく記載されていますが、ここではエッセンスだけかいつまんで申し上げましょう。

加害者は、被害者に対して、とても巧妙なやり方で、その人間性を否定するようなサインを送ります。加害者は、例えば、ちょっとした欠点やミス等(多くの場合ほんの些細なこと)をとらえて、あたかも自分の方が被害者だといわんばかりに、「あなたのおかげで大変迷惑をこうむっている、君は本当にダメな奴だ」といったメッセージを被害者に向けて発したりします。被害者には、思い当たるところがありますから、「悪かったのは自分だ」という思いを蓄積することになります。こうした応酬は大変病的であり、ほどなく被害者は、まるで加害者に操作されるがごとく自己否定の罠にはまっていきます。そして、被害者は、驚くほど短期間のうちに、自尊感情をズタズタに破壊されてしまうのです。

残念ながら、私もこの典型的な経過を辿りました。多分、この段階が一番辛かったと思います。しかも、数ヶ月はその状態が続いたと思います。不思議でしょう?ハラスメントを受けていながら、それがハラスメントであることに気がつかないなんて…。

では、どうやって、回復のきっかけをつかんだのか。ずばり、「これがハラスメントなのだ」と気がついたことでした。この気づきこそが回復の第一歩となりました。

ポイントは、「全てを記録すること」でした。とにかく、その日起こったことを全て文字化していきます。事実と感想は、それなりに自分の中でも明確に分けながら、とにかく文章にしていく。そうすると、気がつくのです。「あれ、私が悪いと思っていたけれど、私ばかりが悪いわけじゃないのかも、だって、この経過矛盾だらけじゃない?もしかして私の方が被害を受けている?もしかしてハラスメント受けている?」 ― そうです、状況を客観視するために必要なこと、それはとにかくアウトプットすることなのです。

実は、私が、頻繁に文章を書くのは、文学部卒で文章を書くことに昔から抵抗感がなかったということもありますが、このときの苦い経験が下敷きにあるからです。文章にすることが、最終的には事態を解決に導いてくれる、ということを身をもって知っているのです。

その後、私は、この地獄のような状況から抜け出すために、あらゆる努力を払うと決めました。心理カウンセラーのところに相談に行くことはもちろん、当時厚生労働省にお勤めだった大学の先輩を通じて、この分野の第一人者(関係団体の職員やハラスメント専門の弁護士)をご紹介いただき、多方面からの専門的サポートを受けることができたのです。本当に、ありがたいことでした。一連の過程で、私を支えていただいた方には、本当にどんな感謝の言葉を尽くしても足りないぐらいです。

その過程で痛感しました。ハラスメントを理解し、心のダメージを払拭するためには、人間の心理の理解が不可欠であるということを。そのことに気づかされたのは、相談にのっていただいたある専門家のこの言葉がきっかけでした。

「君(坂田)は、実は心理療法等の必要はないよ。なぜなら、自分で自分のことを客観視できる状態になっているからね。問題は、相手の人だね。その人こそ、多分心理療法が必要だと思う。直接話を聞いていないから断言はできいないが、十中八九心理療法が必要であることは間違いないだろう。認知行動療法が要るだろうな。この事例では、おそらく相手の人は、強迫性障害の可能性が高いし、あるいは境界例かもしれないからね。相手の人の生育歴に問題があることが多いね。もっとも、加害意識は皆無だろうし、病識もないわけだから、実際には心理療法を行うのは困難だろう」

まさに驚愕の瞬間でした。え、そうなの?加害者の方にも、心理的な問題が潜んでいるの?どういうこと?強迫性障害なの?境界例って本当?

それまで、自分の心の痛みにしか注意を向けることができなかった私でしたが、もう一方の当事者である相手の人の心の問題についても、しっかり理解できるようになりたいと思いました。「なぜあの人はあのようなことをするのだろう?その背景にどんな心の動きがあるのだろう?」

そこから、私は、今後の再発防止のためにも、この分野について、エキスパートを自認できるだけの力を身につけよう、と決心しました。単なる知識の習得のみならず、自身も継続してカウンセラーの先生のところに通いながら、ときには講座等も受けて、徹底的に心のことを学ぶと決めました。転んでも絶対にタダでは起きない、そう決めたのです。

上述の通り、当時日本におけるハラスメント訴訟の第一人者だった弁護士さんとのご縁もできましたので、ハラスメント訴訟における法的構成についても、しっかりご指導いただけたのは幸いでした。ちゃっかりしていた私は、その弁護士の先生を、なんと職場にもお招きして、企業内研修会まで開いたり…。こうして、ハラスメント経験を、自身の学びの場に変えていきました。

随分と長くなりました。最後に、とても大切なことを申し上げましょう。

ハラスメントの被害者になるのは、とても辛いことです。ですが、被害者になりやすい条件というものも、厳然として存在します。残念ながら、これが本当のところです。理不尽なことですが、傷つきやすいからこそ攻撃される、という話があるのです。また、被害者と加害者との関係性において、当事者の潜在意識の中にある無価値観・罪悪感が刺激し合う、などという現象もよく起こります。そして、多くの場合、加害者もまた精神的問題を抱えた「悩める人」です。ですから、加害者にも被害者にもなるべきではないのです。まさしく、ハラスメントの当事者になるべきではないと思っています。

ハラスメントの当事者にならないために最も必要なこと、それは、自己肯定感をどれだけ持つことができるか、健全な自尊感情を持つことができるか、ということにかかっているといっても過言ではありません。

私のケースについて、少しだけ懺悔も兼ねて解説しておきましょう。自分の価値をあえて受け取らないでおこうとしていたことが、問題発生の一因だったのかもしれません。どうしてもついて回る自分の出身大学について、そのことで「偉そうにしている」と思われたくなかったのです。出来るだけ腰低く生きよう、そうすれば波風が立たないだろう、そう思い込んでいたのです。もしかしたら、必要以上に謙遜的態度をとっていたかもしれません。そのことが、ひょっとすると、相手の人の何か ― おそらく劣等感 ― を刺激したのかもしれません。

自分に起こる全てのことは、結局自分に由来するのです。最終的に、そこを理解し、そのうえで自分を許せるようになったとき、はじめて「痛み」を乗り越えることができるのです。

(※)マリー=フランス・イルゴイエンヌ『モラル・ハラスメント 人を傷つけずにはいられない』(高野優 訳、紀伊國屋書店、1999年)