<照明でこんな雰囲気にも>
<照明でこんな雰囲気にも>

子供の頃、私は、何となく鍵盤の真下でピアノの音が鳴っていると思っておりました。ちょうど、パソコンのキーボードの打鍵音が指の真下で鳴っているような、まさにそんな感覚です。白状しますと、子供の頃どころか、大人になってからもかなり長い間、この感覚をずっと持ち続けていたように思います。

もちろん、ピアノの場合、鍵盤の真下で打弦されているわけではないのは、皆さまよくご承知の通りです。鍵盤はあくまでも操作盤であって、鍵盤アクション部分に加えられた力が梃子の原理でハンマーに伝達されて打弦されることによって、はじめてピアノの音が作られるわけですから、アップライトピアノであっても、グランドピアノであっても、鍵盤の真下でピアノの音が発生しているわけではないのです(厳密には鍵盤の下の棚板を打つ打撃音も聞こえているのではないかとも思いますが…)。パイプオルガンほど極端ではありませんが、鍵盤(=操作盤)と音が鳴っている場所は全く別なのですね。

でも、なぜそんな「鍵盤の真下でピアノの音が鳴っている」という勘違いをしてしまったのでしょうか。少なくとも私の場合、子供の頃からずっとアップライトピアノを使ってきたこと、学生になってからは主として電子ピアノを使ってきたことがその勘違いの原因ではなかったかと思っています。つまり、自分の顏(耳)の近くで音をとらえる癖がついていたことが一番の問題だったのではないかと密かに思うのです。

アップライトピアノの場合、比較的顏(耳)に近い位置で打弦されますし、打弦された音を豊かな響きに変える役割を果たす響板も、顏(耳)からさほど遠くないところにありますら、結局音を顏(耳)の近くで聞くのが常になるわけですね。打鍵の手ごたえの結果(=音)がすぐ耳もとで聞こえてしまうのです。

電子ピアノで弾く場合は、ヘッドホンを使うことが常でしたから、もうこれは耳もとで音が鳴っているわけです。確かに、鍵盤を打つ打撃音は、別途鍵盤の真下で鳴っていますが、弾いているときはヘッドホンから聞こえる電子音に意識が集中してしまっていますから、ここでもやはり顔(耳)から近い位置で音を聞いていたということになるようです。

そんな勘違い女だった私が、「どうやら鍵盤よりも遠くで音が鳴っているらしい」と実感するようになったのは、結局自宅にグランドピアノを入れてからのことです。日々の練習を通じて、自分の弾いている位置よりもはるか前方で音が鳴っているらしい、と感じるようになりました。特に一番驚いたのは、自宅に東大ピアノの会の後輩3名を招いて「大音量会」なるものを催したときの話ですが、後輩たちの弾くピアノの音が、場所によってかなり聞こえ方が異なる事実に気付いたことでした。大屋根の正面付近とそれ以外の場所とでは、まるで聞こえ方が違う。「ピアノの音は奏者の位置から右手前方の大屋根正面の空間に伸びていく」ということに気付かされた瞬間でした。その時点で、ピアノを弾き始めてから既に四半世紀が経過していたのですから、全くもって「情けない」の一言であります。

ところで、皆さまは、舞台上でピアノの弾いているとき「自分の音が聞こえにくい」と感じたことはありませんか?かく申す私も、学生時代から、「舞台上で弾いていると自分の音が聞こえにくい」とずっと感じておりましたが(そのことが私の「音量コンプレックス」を助長したとも言えるのですが)、これこそピアノの音が、奏者の右手方向=客席方向に向かって伸びていくからなのではないかと思います。そして、ここが肝心ですが、「舞台上で聞こえにくいから」という理由で、いつも以上に強い音を出そうとすると - 残念ながらそういう方を結構お見かけしますが - ただやかましいだけの演奏になってしまうという残酷な事態に陥るわけですね。

この「舞台上で自分の音が聞こえにくい」ことへの対策は、ずばり「ピアノの右前方空間の音を聴く(あえて「聴く」の字を使いました)訓練」しかないのではないか、と思っています。もちろん、今回、スタジオを作るにあたっては、この「右前方空間の音を聴く」訓練の場にすることをかなり意識しました。防音工事を手がけていただいたのは、この道のプロの方でしたので、ピアノの配置予定をお示ししただけで、このあたりの事情を全てご理解いただけたのは本当に幸運なことでした。

実はスタジオのピアノ、何も予備知識なく弾かれると「全然鳴らないじゃないの!このピアノ」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。ですが、これは、ピアノの左側(南面)の壁を吸音にし、舞台同様ピアノの右前方の空間が響くようにスタジオが作られていることによります(もちろんそれだけではなくピアノの調整によるところもありますが)。ですから、音が鳴らないと思って、ガンガンひっぱたいたりすると、いくらまろやかな音が特徴のピアノとはいえ、やかましいぞんざいな演奏になってしまいますから、ここは要注意です。

先日の内見会に来ていただいた方には、他の方が弾かれているときの音の聞こえ方と、ご自分が弾いていらっしゃるときの音の聞こえ方を比較していただきました。また、座席位置の違いによって、どう聞こえ方が変わるか、というあたりもご体感いただきました。狭い空間にもかかわらず、場所によって全く響きが異なることに、来場者の皆さまも大変驚いていらっしゃいました。来場者の方からは「自分が弾いていると、本当に鳴っているのかな、と思うのに、座席に座ると豊かに響いていることを実感する、スタジオ北西角の席だと、まるでホールのような響きがする」というコメントをいただきました。私自身も、もともと意図した設計ではありましたが、本当に場所によって響きが如実に異なるので、改めて新鮮な驚きを覚えました。そういうわけで、こちらのスタジオでは、「ホールで弾くときの響き方をイメージしながら、ピアノを弾く練習ができる」ようになっているのではないか、と思っているのであります。

最後に一言。ピアノの演奏会に出かけるとき、私は「手の見える座席」には座りません。理由はもうお分かりですね。

<ホールのような響きで聞くことができる場所>
<ホールのような響きで聞くことができる場所…ぜひご自身の耳でお確かめ下さい>