ハイリゲンシュタットにあるベートーヴェン・ハウスの楽器
<ハイリゲンシュタットにあるベートーヴェン・ハウスの楽器>

私が、(ある意味)安定しているだろうと思われている会社員生活に終止符を打って、あろうことか、音楽を生活の主軸に変えるという選択をしたことについて、不思議に思われる人も多いだろうな、と思います。「経済的安定を手放してまですること?」 ― そう思う方もいらっしゃるのかもしれません。奇しくも、老後2000万円問題がクローズアップされている昨今、「この人いったい何おバカなことやっているのだろう」そう感じる方も多いことでしょう。私自身も、そう感じる瞬間がないわけではありません。

確かに、経済的安定性を手放すのは勇気が要りました。まして、2年前、私は、1000万円を軽く超える設備投資を行いました。以来継続して負担しているスタジオの維持費も相当なものです。老後に必要な貯えは、実は2000万円どころではありません。

それでも、最終的に会社員生活を手放すことにしました。誤解しないでいただきたいのですが、会社に不満を持っていたわけではありません。少なくとも、基本円満に卒業したと思っています。

一番の理由は、ピアノが好きだったからです。いろいろ好きなものは他にもありましたが、唯一ピアノだけが、4歳で弾き始めたときから、怪我等で弾けなかったときを除くと、全く中断がなかったからです。おそらく、半年のブランクもないと思います。他にも興味のある分野はいろいろありました。書道・カメラ・ヨガ・箏曲・歴史学・美術史等々。これらは、もちろん好きですが、やはりブランクが何度もあるのです。でも、ピアノだけは、一度も途切れずに今まで続けて来られた、それだけで十分だと思ったのです。小学校行く前から弾いているわけですからね。多分、人生で一番長くつきあっているのは、間違いなくピアノです。だから、多分一生つきあっていくだろうと思いますし、そうありたいと強く願っています。

会社員等の仕事のかたわらでピアノを趣味で弾いていた頃は、どうしても、仕事が最優先になりますから、あれやこれやいろいろ工夫はするにしても(それはそれで楽しかったですが)、最終的にはピアノが第一優先にはなりませんでした。「仕事があるから無理」 ― その言葉を何度口にしたことでしょう。でも、今は違います。スタジオの運営も含めて、今は音楽が生活の中心、基本ピアノが第一優先なのです。それが実に心地良い。

もっとも、ピアノとのつきあい方は、そのときそのときで全く異なっていたと思います。趣味で細々、それが本当に「細々」だった時期も結構あります。でも、不思議なもので、おそらくここ3~4年、私とピアノとの関係性は大きく変わってしまいました。そうなるべくしてそうなった、と素直に思えます。以前は、お世辞にもそんなに上手くはありませんでした。今だって、決して上手くはありません。ですが、牛の歩みではあっても、確実に前に進んでいる実感だけはあります。それは、本気でピアノと向き合う覚悟を決めたからだと思います。

もちろん、仕事のかたわら趣味で細々弾いていたときとは、見える景色は全く違います。「仕事が忙しくて練習する時間がとれない」という言い訳は使えないわけですからね。でも、そのかわり、「全てに優先してピアノに時間を使うことができる」とも言えます。今までにない悩みも増えました。短い期間で何が何でも仕上げなければならないプレッシャーもありますし、集客のプレッシャーも結構大変なものがあります。いうまでもなく、対価に見合った価値が提供できているのか、その問いからは絶対に逃れられません。

そういった悩みはいろいろあっても、総じて幸福感は上がってきていると思います。ただ自分の自己満足のために弾く、というよりは、誰かの喜びのために弾く機会が多くなったのも、幸福感が増えてきた大きな要因かもしれません。

幸福感といえば、昨年秋、幸福学の前野隆司氏の講演に行ったことを思い出しました。前野氏は、金、モノ、地位など、他人と比べられる「地位財」では長続きする幸福感は得られないこと、長続きする幸福感には、4つの因子があることを力説されていました。講演のときのノートから拾ってみますと。

「自己実現と成長」の因子
「つながりと感謝」の因子
「前向きと楽観」の因子
「独立とマイペース」の因子

今思い出してみても、なるほど納得のお話ですし、多分私自身この方向に進もうとしているのではないかな、と感じます。

幸福であることを選択しよう、それが私が生活スタイルを変えた理由だったのです。