<朝の光の紅枝垂れ>

スタジオを作ろうと決めたその瞬間から、もう一つ私の心の中で決めていたことがありました。それは、スタジオに写真を飾ること。四季折々の「瞬間の美」を表現した美しい風景写真作品を飾ろう…これもスタジオ創設と同様、ほぼ直感的に決めていたことでした。

既にご来場の方は多分ご覧になったことと思いますが、こちらのスタジオには、フォト・ワークショップ等でお世話になっている京都の写真家、水野秀比古先生の風景写真作品4点を飾っております。ちなみに、京都を代表する写真家として有名な水野克比古先生は、秀比古先生の義父にあたられます。水野先生ご一家(克比古先生はじめお嬢様の歌夕先生や秀比古先生)が拠点にされている西陣の町家写真館は、自宅から徒歩10分の距離にありまして、私も上述のワークショップやお祭りの日等に時々出入りしております。

さて、スタジオを作るにあたり、秀比古先生に「最低1枚はスタジオにゆかりのある御霊(上御霊)神社(詳しい事情はこちら)の写真を、あとは四季折々の上京の写真を飾りたい」とお願いしたところ、なんと御霊神社だけで四季の風景を揃えることができる、ということでしたので、御霊神社の写真をセットで飾ることにしました。春の紅枝垂れ、初夏の一初、錦秋の銀杏と楓、冬の雪景色。どれもとても美しい作品です。

このうち、春の紅枝垂れについては、それも私どものスタジオのための撮り下ろし作品(!)です。しかも、四月半ばの桜シーズンまっただ中(風景写真家にとっては超繁忙期)、なんと2日連続で御霊神社に撮影に出て下さいました。しかもしかも(!)、何枚も撮影データを送って下さり、その中から気に入ったものを選ばせていただくという、贅沢極まりないサービスつき。こちらで選定段階のデジタル画像をお見せしたいところではありますが、やはり完成作品を直接ご鑑賞いただきたいと思いますので、ご了承下さいませ。ということで、ご来場の折にはぜひスタジオ内の写真もじっくりご覧下さい。また、水野克比古・秀比古両先生のサイン入りの写真集も置いておりますから、こちらもぜひお楽しみ下さいませ。

さて、この私、お恥ずかしいほどの初心者レベルではあるのですが(世のカメラ小僧たちに怒られそうですが)、風景や花の写真を撮るのが大好きです。写真がお上手な方の前では、とても恥ずかしくて趣味だとは言いにくいのですが、それでも美しい瞬間を探して、独自の視点でその一瞬を記録していく、というプロセスを楽しみに、下手の横好きで細々続けています。音楽もそうですが、表現された瞬間はまさに唯一無二の瞬間、二度と同じものは作れない、というあたりが、お気に入りの理由です。

<スタジオ近傍の紅葉>
<スタジオ近傍の紅葉>

はじまりは、おそらくデジタル・カメラを最初に買ったときのことだったと思います。それまでのフィルム用のカメラと異なり、気軽に何枚でもシャッターを押せるものですから、ちょっとした遊び心で梅の花でも撮ってみようかな、と思ったことが写真に興味を持つようになったきっかけでした。さしあたって、ご近所でもある北野天満宮で撮影してみよう、と思い立ったのは良かったのですが…。それまで外出したときのスナップ写真しか撮ったことのなかった私、国宝の本殿をバックに紅梅・白梅にカメラを向けてはみたものの…。「何?!このしまりのない写真!梅の枝は雑然としているし、全然美しくないじゃないの!!!」

風景写真って案外難しいものなのだなぁとがっかりしながら、自宅に戻ったときにたまたま目にしたのが、水野克比古先生の風景写真でした(どういうわけか自宅に克比古先生の写真集があったので…多分私が買ってきたのでしょうが…)。次の瞬間、その美しい風景写真に釘づけになりました。「え?どうしたらこういう写真が撮れるの?」

この日から、風景写真を見る私の目が変わりました。どういう構図で撮られたものなのか、何が美しさを決めるポイントになっているのか、どういう工夫がなされているのか。幸い、京都に住んでいれば、克比古先生の写真作品に接する機会はいくらでもあります。有名な寺社仏閣に行けば、必ずと言っていいほど克比古先生の写真が飾られていますし、写真集は京都市内の書店ならどこでも平積みで置いていますから、気軽にその作品に触れることができます。とにかく、克比古先生の写真作品をじっと見ることから始めました。どこに行けばきれいな景色に出会えるのか、どんな切り取り方をしているのか、どんな写し方をしているのか、全くの素人ながら、とにかくヒントが欲しくてしげしげ眺めるようになったのです。

さらに私が実践したのは、撮影場所に行ってみる、ということでした。地元民ですから、写真を見ただけで、撮影場所がどこであるかはすぐ分かります。その場所は、実際どのような配置になっているのか、どの季節にどんな花が咲くのか、どの紅葉がどの時期に色づくのか、それらをどの角度からどのタイミングで撮影するのか…等々。

これは私の個人的な感覚ですが、「構図が、光線が、絞りが、シャッタースピードが…」といった技術的なことはもちろん重要ではありますが、それ以上に重要なのは、そもそも美しい景色にどうやったら出会えるか、どこに美を見い出すか、ということではないかということですね。今では、近隣の寺社仏閣であれば、門前のこの木、鐘楼横のあの花といった具合に、毎年定点観測するポイントがありまして、季節毎に早朝巡回をしております。

そうそう、克比古先生といえば、昨年の今頃、ちょうどこの広報誌の表紙の場所で、撮影中の克比古先生にばったりお会いしました。曇天の早朝のことでした。そう、カメラマンは早朝や夕刻に撮影していることが多いのです。私の場合は、出勤途上でしたが(常に小型のミラーレス一眼機を携行しているので、出勤途上でも撮影は可能)。常は観光客だらけの京都の桜の名所、でもこの日は克比古先生と私以外は誰もいないという贅沢なシチュエーションでした。こんな出来事がとっても嬉しかったりするちょっと変わり者の初心者カメラ女子なのでした。

広報誌:上京 史蹟と文化 2017 vol.52 (表紙撮影は水野克比古氏)