ベートーヴェンとバッハ
<ベートーヴェンとバッハのスノーボール>

例えば、マッサージを受けたとしましょう。確実に「ツボ」を押さえることができる優秀な施術師にめぐり会えることがある一方で、「そこじゃなくてもう少し横」「微妙に角度が違うのよ」「正直痛いだけなのよね」「蚊がとまっているみたい」 ― というような残念な施術に遭遇することがあります。施術を担当されているのは、経験の差もあるでしょうが、とりあえず一通り施術の技術を習って来られた方ばかりなのだろうと思います。それでも、残念ながら、施術師によって、こちらの受ける感覚には雲泥の差があったりしますね。

実を申しますと、ピアノの打鍵についてもこれに近い事象が起こっているのではないか、というのが、私の正直な感覚としてあるのです。音が豊かに伸びてゆく「ツボ」のようなものがあるのではないか、そして、演奏者によって、この「ツボ」を確実にとらえている場合と、懸命に打鍵しているけれども、どうも「ツボ」をとらえていないのか、音がつまって伸びてこない場合があるのではないか…と。

あるいは、野球でもよく言われている「真芯」の概念に近いのかもしれません。とにかく、さして力を入れている風でもないのに、音がスーッと気持ちよく伸びてくるような打鍵というものが、明らかに存在しているように思えてなりません。

「猫が踏んでも音が鳴る、それがピアノである」 ― 確かにそうなのでしょうが、同じピアノを弾いても、弾き手のよって明らかに出される音色の印象は異なるように感じます。つまり、「その人なりの音色」らしきものが存在するように思えるのです。そして、私の場合、特に気になるのが、伸びのある音色であるかどうか、ということだったりするのですね。

ホール等に置かれているピアノの個体や状態によっては、こうした「その人なりの音色」が分かりにくいケースもあります。「誰が弾いても、明るく華やかで力強い音が出やすい、バンバン音の鳴るピアノ」の場合、案外この「音の伸びの差」が分からなかったりします。そういう楽器の方が、実は多くの演奏者に好まれるのかもしれませんね。ところが、残念ながらスタジオに設置しているピアノは、そういう類の楽器ではありません。ですから、奏者によって「音の伸び」に明らかに「差」が出てしまうようです。うっ…残酷…。新米とはいえ、オーナーのくせに、この楽器にさんざん弄ばれております。到底「弾きこなすレベル」には到達できておりません。悲しい哉…。

ところで、先日、ウィーン国立音楽大学で教鞭をとられているマインハルト・プリンツ先生が、こちらに立ち寄られてスタジオのピアノを弾いていかれました。その驚くほど心地よい音の伸びに接して、思わずため息が出てしまいました。楽器全体からわき上がる美しい音、しなやかながら芯のある美しい響きに満ちた弱音。ああ、この楽器から、こんな響きが引き出されるのか…。何ということだろう。

マインハルト・プリンツ先生
<美しい音色が響きわたりました(マインハルト・プリンツ先生)>

で、あろうことかこの私、プリンツ先生に「どうやったら伸びのある美しい音が出せるようになるのですか?」と、単刀直入(!)に聞いてしまいました。大胆きわまりないですね。すると、プリンツ先生のお答えはたった一言、次の通りだったのです。

それは Vorstellung を指に伝えていくことに尽きる

どういう訳語がいいのでしょうね。イメージ?想像?感受性? ― ちょうどいい訳語が思い浮かびませんが、要するに頭の中で描いたものを打鍵時に指に伝えていくのだそうです。それが全てらしいです。うーん、なるほど~、そうなのか~、それっていったい…とまたまたため息。

笑えることに、その次の瞬間ふと私の脳裏によぎったのが「ツボ」のイメージでした。やっぱり、音の「ツボ」のようなものかしら?よく分からないけれど、何となく「ツボ」のイメージが近いような気がする ― 以来、私は、音の「ツボ」が気になって仕方がないのでありました。美しくスーッと伸びる音の「ツボ」 - 果たして見つけることはできるのでしょうか???