ピアノ内部
<楽器を弾きこなすにはそれなりの実力が要ります>

与えられた楽器で演奏するしかない ― それが多くのピアノ弾きの宿命です。ごく限られたピアニスト以外は、楽器を持ち歩くことはまずありませんから、所与の条件下でベストを尽くすしかないのです。ところが、世の中には「弾きやすい」楽器も存在する一方で、「弾きにくい」楽器も結構あるものです。ですから、正直なところ「今度弾く●●ホールのピアノは弾きやすいのだろうか?」というのが、ピアノ弾きの大きな関心事だったりするわけです。ピアノ仲間の間でも、そういうことがしばしば話題になりますね。

もっとも、「弾きやすい」楽器、あるいは「弾きにくい」楽器というものを定義するのは、案外難しいことです。それこそ、相当個人差がありそうな気がいたします。それも承知のうえで、あえて申し上げるのであれば、たやすく音を鳴らすことができる楽器、あるいは、重すぎず軽すぎずコントロールが容易な楽器というものが、いわゆる「弾きやすい」楽器なのかもしれません。逆に、音が鳴らないと感じる楽器、鍵盤が重い(あるいは軽すぎる)と感じる楽器が「弾きにくい」楽器という感じでしょうか。もっとも、この「音が鳴る」という感覚、あるいは「重さ・軽さ」の感覚も、きわめて主観的なものだったりしますから、何とも漠然とした話ではあります。

なお、賢明な皆さまはお気づきでしょうが、「鍵盤が重いと感じる」ことと、実際の鍵盤のウェイトが重量級(例えば55g級とか…)であることとは必ずしも同義ではありません。実際には、聴覚・触覚等の認知バイアスの影響も受けますし、メンテナンスの状態によるところも大きいです。事実、湿気の多いところで長く放置されたピアノの場合、アクションの動きが鈍くなっておりますから、その結果「鍵盤が重くて弾きにくい」と感じることも多いのですね。

さて、私自身、若い頃は「弾きにくい」楽器=「あまり良くない楽器」と何となく思っておりました。自分で扱いにくいものは、どうしたって好きにはなれませんからね。ワガママな私は、「良し悪し」と「好き嫌い」とを堂々と混同させていたのでした。ただ、最近では、その考えを完全に捨て去っています。むしろ、「弾きにくい」と感じるのであれば、楽器のコンディションが余程悪くない限り、それは自分の腕が未熟であることの証拠である、と思うようになりました。認めたくありませんが、それが「現実」であることの方が多いのです。というのも、その同じ楽器をすばらしい弾き手が触ると、まるで別ものであるかのごとき見事な音色が響きわたることが多いからです。

ちなみに、11月に入ってから、自宅・スタジオ以外に、いろいろなピアノを弾く機会がありました。伝統の音色をそのままに、より「弾きやすい」と感じさせるように設計された某社の新型ピアノ(某有名ピアニストの日本ツアーで使われたピアノ)、古き良き時代の香りのする戦間期のピアノ、どうも見てもろくにメンテナンスされていないピアノ、そして実力がないと芯のある音が出せないという某所の恐ろしきピアノ…。

いろいろ触ってみて思ったのは、「ある境地に達したいのであれば、自分を甘やかさず、弾きにくいピアノであっても弾きこなせるだけの腕を磨く ― 少なくとも私はそうでありたいと考えている」ということです。もちろん、これは一つの考え方です。せっかく音楽を楽しむのであれば、「弾きやすい」楽器と親しむ方がストレスも少ない、という考え方もあると思います。どれが正解ということはありません。

そういえば、先日お世話になったヴァイオリンのルッツ・レスコヴィッツ先生が弾いていらっしゃったのは、1707年製のストラディバリウスでしたが、このストラディバリウスこそは、プロの奏者でも簡単には鳴らせない楽器として有名ですよね。ご縁あって、ルッツ・レスコヴィッツ先生とブラームスのヴァイオリン・ソナタをご一緒させていただいたのですが、どこまでも優雅で愛情に満ちた美しいそのヴァイオリンの音色も、名手あってはじめて可能なのだということなのですから、本当にため息が出そうな話です。

最後に一言。スタジオに設置しているスタインウェイのピアノは、決して「弾きにくさの極致」にあるピアノではありませんが、さりとて「万人にとって弾きやすい」ピアノでもありません。むしろ、「扱いがやや難しい」と感じる方も多いのではないかと思います。私などは、新米とはいえ、オーナーであるにもかかわらず、全然弾きこなせておりません。ところが、このピアノ、それこそ名手の手にかかると、実によく音が鳴りますし、本当に多彩な表情を見せるのです。「弾き手を選ぶ楽器」 ― ちょっと悔しい気もしますが、せめてスタジオのピアノをそれなりに弾きこなせるように精進したいと思う今日この頃なのでした。