<参照していた楽譜~複数のエディションを確認します>
<参照していた楽譜~複数のエディションを確認します>

ちょうど昨年のこの時期、とあるところでラフマニノフの前奏曲を弾く機会があったのですが、そのときに寄稿した文章を掲載いたします。演奏例を動画等でお見せできるほどの腕ではないので、文字だけではイメージしにくいかもしれませんが、ご笑覧下さい。


【運指をめぐって】

滅多にラフマニノフなど弾かない私ですが、たまにはレパートリー外の曲を弾くのも、新鮮な発見があり、勉強になります。今般、ラフマニノフの練習を通じて、運指に関すること、カンタービレの表現に関すること、奏法に関すること等々、いろいろ考えるきっかけになりました。思うところは多々ありますが、今回はその中から「運指」に関して、少しコメントさせていただきたいと思います。

運指…。実は、幼少の折からつい最近に至るまで、自慢ではありませんが相当に無頓着でした。それが、最近になって、運指こそが音楽的表現を探求するうえで重要なキーポイントになることを知り(何年ピアノ弾いているのでしょうね!全く)、ようやく真面目に取り組むようになりました(人間変われば変わるものです)。子供の頃は、「楽譜に書いてあるとおりの指づかいで弾きなさい!」と先生からよく注意されたものでしたが、大人の場合は、「そもそもどういう運指が自分の音楽的表現にマッチしたものであるのか」、まずはそこから探っていかなければなりません。実際、運指の指示は、人によってさまざま。例えば、同じ曲の原典版の楽譜を三種類比較した場合でも、出版社によって(運指を担当した人によって)、本当に三者三様だったりします。

では、望ましい運指とは何か…。少し前までは、弾きやすい指づかいが望ましい運指だと勘違いしておりました。でも、今は違います。現時点では、自分の音楽的表現に一番マッチした運指であること、自分の技量や自分の手の形状・大きさを考慮した運指であることが重要であると感じています。例えば、私は、 Marc-André Hamelin のような技術巧者でもありませんし、あれだけの肉付きのよい大きな手の持ち主でもありませんから、彼の運指による G.Henle の楽譜ももちろん参照はするものの、彼の運指の指示に全て従っているわけではありません。私のような未熟者には、弱拍の左手に親指を使うような指づかいはもってのほかなのですから。

さて、今回、 Op.23-4 を演奏するにあたって、独自の運指を採用することにしました。基本方針は、「鍵盤を押さえながらの指交換を積極的に行うことによって、可能な限り楽譜に指示された音価をダンパーペダルではなく指で保って弾く」というものです。特に第19小節~第34小節、第53小節~終わりまでの右手の運指は、全く私のオリジナルです。最近では、 You Tube 等でいろいろな方の演奏動画を簡単に検索することができますが、私が見た限りでは、私と同じような運指で演奏されている方に、ついぞお目にかかったことがありません。そうなると、多少心配にもなってきますが、それでも私自身、現時点において、自分で考案した運指で弾くことによるメリットを感じています。私が考えるメリットは次の通りです。

  1. メインの旋律である内声のメロディを自然に演奏することができる。
  2. 指交換を行う箇所は主に三拍子の1拍目=強拍であり、指交換に多少時間がかかったとしても、もともと長さも微妙に長くなる拍であるから、全く不自然にならない。
  3. 右手の親指で音を保持するフォーメーションをとることにより、結果として高声部の音色のコントロールが自在になる(三本の手効果が表現しやすくなる)。
  4. ダンパーペダルで音を保つのと異なり、指でメロディを保つため、メロディを犠牲にすることなく細かくダンパーペダルを踏みかえることができる。

もちろん、今回の独自の運指が正解であるかどうかは分かりません。これも一つの解釈ということだとお考えいただければ幸いです。